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2012年10月

2012年10月31日 (水)

söröző再考(2)

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朝7時前から10時過ぎまでやっているsöröző(ビール中心の一杯飲み屋)であるが、10時を過ぎていても、まだ営業していた。扉には6-10時と書いてあるが、いったいどうなっているのだろう。いつものおっちゃんもいるので入店。
自家製ビール(házisör)しか飲まないが、この日はママさんのご機嫌がよくて、ハンガリー特産パーリンカ(梅酒の蒸留酒みないなもの)のボトルが空いたらしく、瓶に残ったプラムみたいなものを貰った。もちろん、私はパーリンカをダブルで2杯飲むこととなった。35度~40度くらいのパーリンカを一気飲みしてビールやワインの炭酸割りをちびちびやるのがブダペスト流。ビールを飲み干し、スピリッツをなめるようにやる日本流とは真逆。
いずれにせよ、これをもって、この飲み屋と私との関係が新たな段階に突入したことを満天下に表明しておこう。

REBECCA

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「レベッカ」を観にオペラッタ劇場(Budapesti Operettszinhaz)へ。ハンガリー語、英語字幕であるが、内容はヒッチコックの映画や東宝のミュージカルで予習済みである。前から6列目で5200ft(約1900円!)で、劇場は小さいが、凄い迫力だった。入り口で劇場の人に「Jó estét kívánok(こんばんは)」と声をかけられ、何か粗相があったんじゃないかとドギマギ。観客は(ハロウィンの仮装でなけば)正装の人もちらほら、ちゃんとした格好をして行って良かった、、、ちなみにまわりを見渡した限り、一人で来ているのは(学生用語で言うところの「ぼっち」は)僕だけだった。
主役のド・ウィンター夫妻より、敵役のダンヴァース夫人の方が圧倒的な存在感で賞賛を得ていたのは東宝版も同じ。ちょっとした違いはベン役の人への拍手も、とても大きかったこと。ベンは確かに劇中、重要な位置にあるが、それほどかなと思ったが、もしかすると有名な役者さんなのかもしれない。

2012年10月29日 (月)

Brassói Aprópecsenye

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この3日間で急に冷え込みが厳しくなった。前にも書いたように自炊をして、なおかつ時間をかけないを旨としているので、準備や後片付けの大変な油を使うものは作らない。しかし今日は脂っこいものが食べたくなって、近所の大衆食堂でBrassói Aprópecsenye。豚肉ニンニク炒め、要するに焼き肉定食である。ご飯ではなく、ポテトを付け合わせにしてもらった。しまった別々というの忘れた、、、ら、こんなふうな盛りつけで供された。もうちょっと何とかならないかなぁ。
この店、アパートのそばにあって、昼・夜ともに大変な人気である。確かに安い。この料理に豆とハムのスープ、ビールとワインを各1杯つけて1800ft(950円くらい)である。ホールにはバーテン兼ご用聞きのおっちゃんと会計のおばちゃんがいるが、おばちゃんに注文を言っても絶対に席を立とうとせず携帯をいじっているかお喋りに興じている。かといって会計をお願いしても携帯いじりやお喋りが一段落するまで待たされる。一方、おっちゃんは注文の他にも酒を注ぎ、料理を運び、時には会計もこなす。
ちなみに味は、、Papa kifőzdéje(パパの飲食店)というだけあって、パパの味だろうか。隣の親子が緑のスープ状のものと、白のイモかパスタがはいったやはりスープ状のものを食べていた。別にスープを注文していたからスープではないはず、すごく美味しそうだった。

ブダペストの禅堂

20121029aネットではいくつか情報があるものの、ほとんどその存在が知られていないブダベストの仏教寺院だが、住所が判り、今日、訪問してみた。メトロ2号線終点のÖrs vezér térからバスで20分くらいの住宅地。ほかの住宅と異なる板塀の奥に禅堂はあった。しかしそう簡単に関係者に会える訳ではないようだ。電気が付いているので誰かがいるのあろうが、門は固く閉ざされていた。しかし確実に禅堂があって、そこに集われている人がいることが判り、今後の調査のはずみとなった。

2012年10月28日 (日)

サマータイム終了

10月28日3時をもってサマータイムが終了。3時きっかりに2時になるというのだ。日本にはない習慣なので、何が起こるのだろうと楽しみに待っていた。何だか外もいつもより騒がしいし、だいたい2時にはお開きになる階下のパブも、時間が過ぎても賑やかだ。3時ぴったりにクラクションを鳴らすとか、花火を打ち上げるとか、爆竹を鳴らすとか(ここは香港か?)あるんじゃないか、、、

パソコンは、時報のページにして動画を撮る準備をした。2時59分55、56、57、58、59、、、
次の瞬間、表示されたのは3時00分00秒。別に外も何か起こる気配はない。
間違いだったのかと、慌てて調べてみると、他の時報は2時から数秒すぎている。僕がスタンバイしていた時報が、サマータイム終了に対応していなかったのだ(いったいいつ修正するんだろう)。
前に書いた部屋の温度計についているCOMPUTHERMとやらで制御されている時計は、、、3時過ぎのままだ。やっぱCLOCKWORKだわ。リセットボタンを押して、時計あわせをしておいた。偉いのは日本から持って来たスマートフォンだ。データ通信もwifiもoffにして今ではカメラと化しているのに、文句も言わず、ちゃんと2時過ぎになっている。

2012年10月27日 (土)

韓国料理

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3週続けて、木曜日は学生と飲んでいる。学生の飲酒文化に関する国際比較は、稿を改めたいと思うが、備忘録のため『酒文化』という雑誌にハンガリーを中心とする旧東欧圏の酒文化に関して、ブダペスト在住のカメラマン鈴木文恵先生が極めて興味深い論考を連載されていることを記しておこう。
チェコ、ブルガリア、ルーマニア、トルコの記事も多く、この連載自体は今も続いていて、今後の鈴木先生の研究成果のさらなる更新が望まれるとともに、その学恩に報いるべく実地の検証が課せられたと自覚した次第である。
ところで飲酒で弱った胃腸をいたわるべく唐辛子の力を借りたくなった。昨晩の講演会の後、どこで飯を食べるかということになってM先生に教えてもらった韓国料理がどうしても気になり、お昼にキムチとユッケジャンを食べた。
ブダペストの「どこで食べても同じ味な大盛りテイクアウト中華」も好きなのだが、脂が多くて食後は疲労感が残る。そいうときに豆やほうれん草のカレー、あるいはクッパなど比較的脂が少なくスパイシーなもので胃腸に「活」を入れたくなる。豆のカレー(ダールカレー)は自分で作っているが、韓国料理をゼロから仕込むのは無理で、なおかつ食べられる店をほとんど見つけられないでいた。
頼んだのは、上記2品にライスとビール。これで4390ft(1500円ちょっと)は、かなりお高い感が否めないが、コリアン特有のグラグラのスープには感動した。味は「日本の韓国料理」と言えば韓国通の人にはピンとくるだろう。なぜか甘く、全体に水っぽい感じ。でも弱った胃腸に「活」を入れて身体が活性化した気がした。

2012年10月26日 (金)

文化講演会

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アパートのそばで、ハンガリー国立バレエ団所属の唯一の日本人バレリーナと法門仏教大学の剣道7段師範の講演があると誘われ行ってみた。30分遅刻してしてしまったこともあるが、すでに会場は聴衆で一杯の盛況ぶりであった。日本で同様の企画をやると(年に数回はシンポなどを主催している)、とにかく聴衆の動員に一番気を遣うのだ(大学で開催しても、声をかけない限り、学生・院生はおろか、ご専門と関連するであろう教員ですら来ることは稀である)が、そんな心配は無用のようだ。質疑応とも活発だ。さすが文化の国は違う。
映画『第三の男』で主人公の米国人作家がウィーンに来て気軽に講演を引き受けて、会場に行ってみたら、大歓迎の凄い熱気(写真)に圧倒されるというシーンを思い出した。もちろん講師の先生方は、ミリ単位、秒単位で心身コントロールをされている達人だけあって、全く動じていなかったが、、、講演会後、その先生方、主催者の皆さんと食事を一緒にし、身体、気、集中力の話ができるという得難い体験をした。
 

2012年10月24日 (水)

もうちょっとハンガリー動乱

日本でハンガリー動乱という1956革命記念日を含む4連休が終わり、大学に行ったら同僚の先生に「4連休何をしたのか」と聞かれた。気にしていただいて、本当にありがたいことである。「22日から追悼式とか、23日の集会とか、あっ、ヨビックの集会にも行きましたよ」というと、ハンガリーの人は、ちょっと驚いた顔をする。S先生は「デモの研究ですか」と、微笑みながら聞かれた。
学生も「多くのハンガリー人より1956年革命に興味があるようですね」とメールを寄越してきた。本ブログのコメント欄にも滞在10年の日本人U先生より「「危ないから日本人はあまり行かない方がいい」と言われるような場所を網羅していらっしゃいますね」とも。
確かにそうかも。例えば日本に来た外国人が「樺美智子の死に関心があります」とか「連合赤軍事件に興味があって」と言ってきたら、日本人はギョッとして「え、え、え、なぜ?」となるだろう。もちろん樺美智子や連赤の活動は世界的な同時代性の中で論じることができるが、直接的には海外の方とは無関係だから日本人はギョッとするのだろう。
しかしハンガリー動乱はちょっと違って、今日に至る日本の言論界やアカデミズムと無関係ではない。ほんの少し日本のこの業界の見渡せば、団塊の世代と呼ばれる方々が、定年を過ぎた今もなお隠然たる力を持っているのが判る。こうした方々が新左翼運動に―コミットメントしたにせよしなかったにせよ―影響を受けていたことを否定する人は、当事者も含め、そういないと思う。
ハンガリー動乱は、それまでのソ連至上主義に対して、「いや~共産主義だからといって他国に攻め込んじゃいけないんじゃないかなぁ」と疑義を呈するきっかけとして決定的な意味を有してた。日本共産党がハンガリー動乱の評価を「反革命」からその撤回と180度変えているところからも、当時の進歩的知識人の混乱ぶりがよくうかがえる。反帝国主義であり、反スターリニズムというその後の潮流の試金石としてハンガリー動乱は、日本の左翼運動の特筆すべき「事件」なのである。そしてソ連一辺倒の旧左翼と袂を分かった新左翼が、やがて1960年代末の全国学園闘争の表舞台に躍り出て、前述の通り、今もなおその影響力は日本社会の中にあって無視することができないどころか、言論界やアカデミズムを牽引していると言ってもオーバーではない。
その意味で、ハンガリー動乱の、その記念日を、ハンガリーで迎えることができたこを厳粛に受け止めたい。

2012年10月23日 (火)

集会を見て歩く

201210231956年革命(ハンガリー動乱)の日、住んでいるアカーツファ通り(Akácfa utca)からコルビン駅(Corvin-negyed)を経てデアーク広場(Deák Ferenc tér)まで街を見て歩く。コルビン広場に行くトラムが路面修理で途中下車を余儀なくされたが、親切なご婦人に代替バスを案内していただいた。ありがとうございます。

コルビン広場はハンガリー動乱の際に最も激しい戦いのあったところと言われる。写真上が記念集会であるが、昨日の追悼集会とやや参加者層が異なり、愛国的なスローガンを身にまとったスキンヘッド風の方々が目に付いた。その後のデアークでは極右政党ヨビック(Jobbik)が大規模集会を展開していた(写真下)。さきほどよりもっと愛国的な方々が集まっていた。国歌斉唱で始まり、たぶん有名な女性議員が壇上に上がった時に大きな盛り上がりを見せていた。時々単語が拾える程度でアピールがよく判らないので1時間ほどで退散したが、よく判っていたら、もしかするともっと早々に退散していたかもしれない。

久々のsöröző

暑かった頃は連日のように行っていたsöröző(ビール中心の一杯飲み屋)も、最近はとんとご無沙汰。毎日のように前を通るので、朝7時から夜10時まで開店している、この店のママさんとできれだけ目を合わせないようにしている。とはいうものの、ここ何日間は終日表にいて、やはり帰りがけは一杯やりたくなる。いや正確に告白すると、一杯ではなく存分に、もっと言うと浴びほど、やりたくなる。

ただ、日本と違って記憶がなくなるまで飲むということにはならない。また、こちらの習慣である、酒だけをひたすら飲むというのも、なかなかハードな内蔵鍛錬である。sörözőのママさんは客そっちのけでテレビを見ながらハムとトマトをのっけたパンを食べている(一口食いてぇぇぇ)。いつもトイレ横に陣取ってるおっちゃんを見ると、おっちゃんも僕をジーッと見ている。僕はもう一杯、20ft値上げしたházisör(自家製ビール)を飲む。

2012年10月22日 (月)

ハンガリー動乱

20121022_221日に国会前の民族誌博物館に行ったら、国会議事堂およびその周辺はすでに23日の1956年革命記念日(ハンガリー動乱の初日)の準備が行われていた。相前後して、受講生のヤンカさんから前日の22日夕方かた夜にかけて各地で追悼集会が開かれるということで、ベム広場(写真下)と国会周辺(写真上)に行ってきた。

ベム広場(Bem József tér)では5時半頃から国旗や灯りを手にした人々が集まり、式典が行われた。各界の代表(学校関係者が多かったような気がする)が献花を行うもの(写真下)。国会前のコッシュート広場(Kossuth Lajos tér)では7時半頃からモニュメントに人が集まりはじめ、やがて2台のトラック(たぶん1956年当時風に改造したもの)に分乗した若者が松明を持って登場。モニュメントに炎が灯す。誰が歌うともなく自然と国歌斉唱となった(写真上)。一貫して宗教者の出番はほとんどない。慰霊・追悼研究の視点からしても、非宗教性が顕著で興味深い。
国旗の真ん中がくり抜かれているのは1956年以前には、ここに農民と労働者をあらわす麦トンカチ、そして共産党のシンボルの赤い星が描かれていたため。やはり受講生のアニタさんが教えてくれた動画には、1956年当時、国旗を切り裂くシーンが登場してくる。
「ハンガリー動乱」について、それほど見識があるわけではない。“rising”を「蜂起」と訳さず、「動乱」(=鎮圧すべきもの)と訳したのは、当時のソ連寄りの進歩的左派の混乱によるものだろう。確か学生の時に3つ下の世代がハンガリー動乱の勉強会をしようとして、中核派の方々に干渉されたという記憶がある。敵対する革マル派の黒田寛一がハンガリー動乱をめぐって当時からソ連批判をしていた(今から見れば真っ当なことを言っていた)からである。
もう一つ思い出したのは数年前に行った韓国の光州である。光州事件の慰霊ツアーのようなエクスカーションに参加した時に、こうした国家の礎になった犠牲者を悼む場所は日本でいうとどこなんだろう、、、靖国? 皇居前広場? 三里塚? そんなことを今回も考えたが、答えは出ていない。

2012年10月21日 (日)

民族誌博物館

20121021M先生のご推薦もあって国会前の民族誌博物館で開催されている世界報道写真展2012に行く。1955年にオランダで設立されたフォトジャーナリスト支援のNPOによる展示会で、東日本大震災の写真も受賞し、会場の一角を占めていた。今、世界中で開催され、多くの人の目に触れるという。実は会場に行くまで日本の写真があるとは思わず、日本でよく目にした写真もあったが、また違った感慨で見つめることができた。

常設展も拝見。クロアチアの民族博物館に似た印象(マネキンの作りや多分子どもが作成したと思われる折り紙によるデコレーション)を持ったが、古い写真と展示があっていて(どちらかと言うと写真が)良かった。そして実は素晴らしいのが1896年に完成した元法務省の建物自身。向き合う国会議事堂に比べて遜色のない概観。3階ぶち抜きのエントランスには大きな窓から陽が差し込む。何枚か写真を撮ったが、どれも絵になる美しさ。

2012年10月20日 (土)

仏前結婚式

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ブダペストで活動する日系宗教の秋季集会を訪問。日本人は2~3割。午前9時~午後7時まで。午後には現地メンバーの結婚式も執り行われた。仏式である。
結婚式もそうであるが、会合全体が活気に満ちていた。進行はマジャール語と英語で行われるが、フランス語での質問が出たり、出席者の出身もオランダ、コートジボアール、インド、もちろん日本とさまざまである。しかし勤行は共通。隣に座っていたブラジル人男性は奥さんがハンガリー人で、その関係で入信し、自分も2名に勧誘をして成功した語っていた。皆さん、このいかにも部外者という私に、とても親切である。コーヒーブレイクのお菓子やランチも美味しく頂かせてもらった。
何か似た感じがするなと思い出したのがモスクでの礼拝。モスクに行って、言葉は異なるがコーランを唱える時は一つの言語という、あの一体感や安心感にも似た雰囲気を感じた。日系宗教の中でも最も世界布教に成功している教団だから、当然といえば当然であろうか。

2012年10月18日 (木)

法門仏教大学

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久しぶりに「学」に分類することが書ける。
今回の渡航の目的の一つであるブダペストの法門仏教大学(A Tan Kapuja Buddhista Főiskola/Dharma Gate Buddhist College)へ赴く。本来、もっと早く行くべきだったが、タイイングを逃していたところを、いろいろな偶然が重なり(直接の訪問理由は私の忘れ物を取りにいくというもの)急遽うかがうことになった。
地下鉄3番線のEcseri út駅を降りると、住んでいる7区とはずいぶん異なるイメージ。中層の共同住宅がズーッと続き、きれいに街路樹や植え込みが手入れされ、広々とした空間が演出されている。そんな住宅地の中に仏教大学はあった。
チベット式の屋根が目に付いたものの、入り口が判らずに一周した。入り口そばの部屋で先日お世話になったA先生の後ろ姿が見えたので、声をかけさせていただき、中を案内してもらった。2棟から成り、法儀を学ぶ教室2つに、ベジタリアン食を提供する食堂、学生用のキッチン、教室が配置されている。学食の今日の定食はズッキーニのトマトチーズ焼きとスープとサラダとデザートで470ft(170円)。安い! ご飯の塩加減が良かった。
学食で、G先生と会い懇談、忘れものを受け取る。ありがとうございました。この後に偶然にも学長先生より大学の概略の説明をいただく機会を得た。日本でプレゼンしたという資料をもとに、大学設立のきっかけ、背景、経営状況を含む現状、今後のビジョンをうかがった。「ブダペストに仏教大学が、、」というと、日本の研究者をたいてい驚く。私も驚いた。禅センターやテーラヴァータの瞑想教室などはヨーロッパの各地にあるが、またケンブリッジやライデンなど仏教研究ができる大学も珍しくないが、仏教系の単科大学にまで発展した例は寡聞にして知らない。詳細は別途報告したいと思うが、まずは学長先生と再会をお約束して、G先生と大学を後にした。

2012年10月17日 (水)

後日談いろいろ

今週になって日本の職場で非常に厄介な問題が出来して、前向きな記事を書けないので、これまで書いたものの後日談。
(1)重要書類を入れた郵便小包は3週間+1日かけて到着。嬉しいと言えば嬉しいが複雑な気持ち。
(2)暖房は実はプログラム制御されていたことが判明。プログラムといっても温度を感知してというものではなく、月曜日は21~24時までとか、火曜日は終日暖房とか、1週間の暖房時間を設定するもの。コントロールパネルにはCOMPUTHERMと刻印されているが、CLOCKWORKという方が正しい。
(3)再び湯沸かし器がダウン。修理業者が出払っていて、アパート管理会社から私より1.3倍は大きいんじゃないかと思われる女性社員が来て、一緒に熱湯を浴びながら(水圧をあげすぎて熱湯が吹き出して)工具なしで修理。「handymanになれる」と笑ったものの、笑いごとではないような、、、

2012年10月15日 (月)

床屋に行った

ハンガリーに来て、はじめて床屋に行った。海外で床屋に行くこと自体そんなにないが、かつてローマかフィレンツェではなぜか立ったまま、最後は髪の毛だらけで濡れティッシュのようなものが渡され自分で処理するという目に遭ってから海外での散髪は避けていた。

日本にいるときも床屋は一年に数回しか行かない。ただ髪が伸びてきて、だんだんと人相が悪くなってきたので、近所の床屋にいってきた。ドブ通りの公園の前、アパートから徒歩30秒である。近くにしたのは、もちろん髪の毛だらけになってもすぐアパートでシャワーが浴びられるため。
結果として、思った通りの出来映えであった。所要時間、15分。シャンプーとひげ剃りなしだが、髪の毛だらけにはならなかった。数種類のハサミとバリカンとカミソリでトップをピンで留めて丁寧にやってくれた。ただ髪の毛を払うのに息を吹きかけるのと首をゴキっと回すのには驚いたが、これはハンガリー流というより、このおっちゃんの持ち味と見た。英語はまったく通じなかった(私がマジャール語で注文できないのがいけない)が、こっちに来て撮った証明書用の写真を渡したのがよかった。途中、サイド、もみ上げ、バックについて尋ねられたが、すべて「イゲン」である。2500ft(900円くらい)。

2012年10月14日 (日)

桃太郎ラーメン

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一ヶ月1700アクセス(480訪問者)うち2割が外国語を常用されている方という国際派ブログにようこそ。
それはともかく、本ブログを読んで、そんなにも中華が恋しいかということで、連れて行ってもらいましたブダペスト桃太郎ラーメン。場所は国会議事堂のそば。写真はラーメンと麻婆豆腐だが、この他にご飯と餃子を注文。
ラーメンはあっさり系細麺。太麺&脂ギトギトが幅を利かせる日本のラーメンを食べ慣れていると拍子抜けするかもしれない。後で思い出したが、煮卵が入っていて、卵を丸ごと食べたのは2月半ぶりだった。餃子は手作りで厚い皮もモチモチで美味しかった。
特筆すべきは麻婆豆腐だろうか。陳健一もビックリで、かなりレベルが高い。豆腐は木綿でしっかりしているが、汁気の少ない濃厚な餡にちょうど合う。ご馳走さまでした。

2012年10月12日 (金)

エリザベート

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オペラッタ劇場で「レベッカ」の上演があると聞いて、探したら残り席があとわずかになっていた。急いで席を確保。壁側から5番目とはいえ、前から6列目で5700ft(2000円弱)。一瞬、ヒッチコックの映画版上映かと思った。劇場サイトを見ていると、同劇場で「エリザベート」も。初日は完売、あわててこれも予約。前から4列目、ど真ん中だ。これも5700ftで、一番いい席でも1万ft(3500円)程度。さすが文化の国は違う。「文化の風薫るまち」とかといって箱物行政をやっている豊島区は無策を反省して、名画座や小劇場の入場料補助でもした方がいい。
それはともかく「レベッカ」「エリザベート」作曲のシルヴェスター・リーヴァイがハンガリー人だということを予約時の解説で知った(ハンガリー語ではなく英語で、、、)。実は「エリザベート」は宝塚版、ウィーン版(観たのは新宿)、東宝版と何度か観てきた。最初は2007年5月の宝塚雪組(写真)の初日だった。確かリーヴァイが作詞のクンツェとともに来場していたような記憶もあるが、間違いかもしれない。友人の阪大I准教授はロンドン公演のおりに来ていたリーヴァイに挨拶しにいったというのを思い出した。
考えてみると今回ハンガリーに来たことは、このミュージカルの影響が強いかもしれない。「エリザベート」の内容は、まぁ有名なのでいいとして、この作品の中でハンガリーはエリザベートのお気に入りというだけでなく、革命の火種、エリザベートの息子ルドルフの憧憬(ハンガリー国王としての母からの承認=この母子のモチーフは宝塚版のみかもしれない)として描き出されている。三色旗に身を包んだエリザベートの登場とブダペスト市民の熱狂、狂言回しのルキーニやトートがハンガリーの革命家とともにウィーン市民を扇動する楽曲「ミルク」、ルドルフがハンガリーを巻き込んだドナウ連邦建設の革命に立ち上がるくだりなどは、震え上がるほどの名シーンだと思う(凡庸な表現ご容赦)。
そのハンガリーで「レベッカ」「エリザベート」を観られることを本当に嬉しく思う。

2012年10月11日 (木)

突然の暖房

朝晩冷え込んできて、こちらで買ったパーカーだけではヤバイ状況になった。今日、大学そばの古着屋に行ったが、イマイチだった。アパートに戻り、明日こそ冬物を買うぞと思いつつ、ウトウト、、、

身体が火照って目が覚めた。あちゃー、、、風邪をひいてもうたわ、、、と思いきや、、、
暖房が全ての部屋に入っている。スチーム暖房だが、昔のように水蒸気がシューシューいうのではなかった。
「暖房が○日から入ります」みたいな通知があるのか、「どこどこのスィッチを押せ」と管理会社から連絡が来るのかと思っていたが、突然、暖房が入った。ちなみに現在の時刻は10月11日の零時を回ったところ。10月11日に何か意味があるのだろうか。それとも自動的に室温を感知して作動したのか(ありえない)のか、管理会社の遠隔操作(もっとありえない)なのか。
アパート全体のセントラルヒーティングと思ったが、部屋の湯沸かし器が自動的に作動しているので、部屋ごとのようだ。使っていない部屋も不在時も作動するんだろうからガス代は高くつくな。

2012年10月10日 (水)

重要書類が!

最近の日本の大学では、期末に学生が授業評価を行って、その結果に対して教員が文書で答え、それがネット上で公開されるというのが流行っている。個人的には全くナンセンスで、だいたい文句をつけた学生がネットで公開される回答を読んでいるとも思えず(学生は本当に自分の大学のサイトを見ない)、文句があるなら直接来いよと思っているが、そういう制度が一般化されているので仕方がない。

それはともかく自宅に届いた授業アンケートを日本から送ってもらったのだが、届かない。前回の荷物は金曜発送で火曜日は到着して感動したのだが、今回はすでに15日が経過している。こちらの大学の受付のおっちゃんに尋ね、到着ノートを見せてもらったが、やはり名前はない。ハンガリーの郵便事情は良いという話と悪いという話と両方を聞いていたが、、、
授業アンケート自体は、大学から別途PDFで送ってもらって事なきを得た。最初からそうすればいいと思われるかもしれないが、一応(別に自分への毀誉褒貶が路上に落ちていても構わないのだが)私の個人情報に属するので、簡単にメールでやりとりできるものではなかったのだ(勤務評定には使わないという約束なので、アンケート集計は業者が行い、業者が直接教員に伝えるという形になっている)。
ただ、かなーり残念なのは同封してもらった『進撃の巨人』最新刊とスパークリングワイン用の栓(こっちにも売っているが、どう見てもちゃっちぃ)と講義で使う予定だったジブリのDVDだ、、、いずれも1000円程度の少額商品だが、あればあったで嬉しいが、2回送ってもらうのも悔しく、諦めるしかない。

2012年10月 9日 (火)

コーヒー

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前に2ヶ月ぶりにコーヒーを飲んだと記したが、そういえばアパートにエスプレッソマシーンがあるのを思い出した。Fさんが契約時にアパート管理会社に掛け合ってくれて、会社が使っていたものを、そのまま貰ってきたものである。
実はコーヒーは家人や学生にいれるのは好きだが、飲むのはそれほどでもない。まぁ、コーヒーだけでなく、酒と中国茶以外の飲み物には、あまり頓着しない(中国茶は健康オタクの母の影響)。ただ、せっかくマシーンがあるのにエスプレッソをいれないのも何なのでスーパーで豆を買ってきて、ネットでマシーンの使い方を研究してみた。
この「MATSUI」というメーカーはよくわからないのだが、エスプレッソマシーンは、どこも同じような構造になっているみたいだ。左のノズルは牛乳を温め泡立てるものだったのか、、なぜ泡立てるのかは不明だが、よく学生のブログなどに、泡でパンダや坂本龍馬の姿を描いたエスプレッソが登場するが、こうやって泡立てるのか、、、もちろんコーヒー上にお絵かきする技術も趣味もないので写真のように単に泡だった牛乳をいれただけのものになった。意外に美味しい。ただドリップ式に比べて準備も片付けにも時間がかかりすぎる。
カフェインは学生の頃に、夜警のバイトと学生会館の自主管理で、アンプルや錠剤でイヤってほど摂取したので、コーヒーごときで眠気は覚めないが、この作業は眠気覚ましにもってこいかとも思った。ピーナッツと一緒に名古屋風にいただくのが、またいい。

2012年10月 7日 (日)

量が多い

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欧米の外食が日本人にとって量が多いのは、よく知られたことであるが、基本的に私は大食い・早食いである。ブダペストに来ても、それほどレストラン食の量が多いとは思わない。
ただ、テイクアウト食の量は多いのは認めよう。下2枚はモスクワ広場の中華、右上はマルギット橋のブダ側の中華、左上はブラハ・ルイーザのケバブであるが、スプーンや500ml缶と比べていただだければ、その大きさが判るだろうか。こんなのをこっちの人は平らげているのかと思ったら、「ハーフ」というのがあって、3割~4割のひとは「ハーフ」を注文していた。ちょっとホッとした。ただ、私は「ハーフ」などは頼まない。基本をいあただくのがB級グルメの神髄である。量が多いのにも何か理由(寿司が2カンで出てくるように)があるに違いない。
テイクアウトに酒がないと前に書いたが、マルギット橋の中華はビールが2種類置いてあって、私のお気に入りになりつつある。働き者そうなご夫婦と歳頃の娘が店を切り盛りしているが、娘が客そっちのけで店内でギターの練習をしているのをお父さんに見つかり、もの凄く怒られていた。
実は早くからアパート近くの中華も開拓してきた。同じ店で二度ほど特注メニューを頼んだが、高くて(1500ft近く)美味しくないので敬遠していた。今日、三度目の正直で作り置きのものを注文したら、安くて(640ft)まぁまぁだった。というかテイクアウト中華の作り置きは、どこも同じ味だ。M氏が「何かある」と示唆していたが、何かあるのだろう。

2012年10月 6日 (土)

zsíros kenyér

Dsc02456_3念願の“zsíros kenyér”(脂パン)を食したものの、残念ながら写真を撮り忘れた。実はまだこれが食べられる店が特定できず、画像を心待ちにしている2ヶ月で800アクセスの本ブログ閲覧の皆さまに本当に申し訳ない次第である。

学生は「そんなもん、どこにでもある」という。そんなことは私も知っているが、なかなか注文しづらい。グヤーシュとかフォアグラだったら、胸を張って注文できるが、いかにも“zsíros kenyér”(脂パン)を食べにきましたということを悟られずに注文するのは難しい。日本で言うと開口一番「イカのげそが食べたくて食べたくて仕方がない」とか、「軟骨唐揚げを食べにきました」とかという感じであろうか。すき焼きを食べにいって「あっ、モツ煮込みも追加ね」とか、フグを食べているのにサンマの塩焼きを頼んでしまうような食い合わせミスにならないとも限らない。そのへん異文化なので検討もつかない。

さて先日お呼ばれした会で“zsíros kenyér”の作り方はわかった。要するに紫玉葱とラードと塩とパプリカである。早速、スーパーに買いに行ったが、教えて貰った高級ラードはなく、いかにも安物というのしか見つからなかった。その代わり塩を高級品にした。 で、作ったもの(「作った」というほどのもんじゃないが)がこれ。美味しい。ラードはかなり塗った方がいいんだとか、紫玉葱は水にさらして水切りした方がいいとが判った。しかし、これは脂と塩分とアルコールの過剰摂取を招きそうで、要注意である。

2012年10月 5日 (金)

相次いでお誘いいただき感謝!

このブログは、日本国内の学生や家族を対象に書かれていて、大変申し訳ないことにハンガリー在住の方を想定して書かれてはいなかった。しかしアクセス解析を見ると、訪問者の15.7%はブラウザの言語設定が英語、3.5%はハンガリー語であった。いかにも日本的な感覚で書かれた旅日記を、現地の方が読まれているとすると汗顔の至りである。
、、、と実はあまり気にしておらず(もう匿名にする必要もないじゃないかと言われているが)ガンガン飛ばしていきます。
時節柄、ワイン祭りやパーリンカ(果物などの蒸留酒)祭りが各地で開かれている。大学の講義は月曜日だけだが、その他の曜日も顔を出すようにしたところ、こうした催しに誘われるようになった。お気遣いありがとうございます。その中で何とこのブログを読んだという方から「肉料理の皿に残った油をパンで拭き取って食べたような美味しさ」と小生が聞いた“zsíros kenyér”(脂パン)が供されるという集まりへのお誘いがあり、図々しくお邪魔した。パーリンカを飲み、夢にまで見た、ではななくブログにまで書いた“zsíros kenyér”を堪能。ありがとうございます。
また同僚のFさんからは、やはりパーリンカの専門店で、パーリンカに造詣の深いL氏の解説付きという会を催していただいた。こちらはその前に少し飲んでしまったためにかなり酔っ払ってしまった、、、申し訳ありません。
またMさんからもお誘いをいただき、ご馳走いただき、比較文化論的議論の中にも大変楽しい一時を頂戴した。感謝します!

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