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2013年1月

2013年1月30日 (水)

まだまだ、だ。

20130129帰省していた受講者のインデックス記入をして、これで成績つけは完了。もっとも、いろいろ言ってきて、講義も試験も受けないがレポートだけで単位を欲しいという不届き者が一名いる。インデックス記入ができないというので、もう成績はだめだろうと思っていたら、その友人から救済措置を講じて欲しいとのメール。まだまだ続きそうだ。
ただ実質上、これで当初のお約束のゼミと講義各1コマ担当はお終い、、、と思いきやS先生より「来学期の講義を」というお話が。しかし帰国は3月なのでと辞退すると、集中講義でいいということで契約更新(といっても無給だが=ここサバティカル中なので重要ね)。講義内容は別記参照。まだまだ終わりじゃない。
さて、先々週知り合いになったご夫婦と会食。先週来、いろいろと教えてもらうことが多い。もしかするとモハーチ行きも一緒になるかも知れない。一人でボーッと祭りを見るよりも先達がいた方がいいに決まっている。また相前後して違う方からも「スピを研究しているなら」と、某集会に一緒に行かないかというお誘いが。光栄である。まだまだ学ばさせていただこう。
ちなみに会食の会場となったCafé Kör、、、何となく既視感があったが、7月末にブダペストに到着した次の日に入ったお店だった。海外の都市ではまず高いとこに昇って街全体を見渡してと聖イシュトヴァーン大聖堂の塔に昇って『地球の歩き方』の地図と見比べてちっとも判らず、降りて最初に外食をしたのが、ここだった。不思議とズーッと前のような気がする。4名でワイン3本にビールにパーリンカ。食事は前菜盛り合わせとデザート盛り合わせ(写真左下)でお腹いっぱい。なるほど、こういう頼み方もできるのか、、、うーん、まだまだだな。

2013年1月29日 (火)

新たな展開

Dsc_0118 2月からの講義のテーマは「Views of Life and Death in Japanese Films: Focus on OZU Yasujiro, KUROSAWA Akira, KITANO Takeshi and MIYAZAKI Hayao」で扱う映画は写真の通り。テーマを急いで出してから心配になったのは、死生観のような日本語の微妙な言い回しを必要とする内容をどうやって伝えるかで、例えば「あー、、おじいちゃん大往生だったねぇ」みたいな感覚を日本語で「諦め」と言って、また"resignation"と英語に訳して、伝わるんだろうか?
という時に同僚で翻訳家のU先生(もうイニシャルにする必要はなにかもしれないし、U先生は2人いるので判っている人にはかえって紛らわしい)が見るに見かねたのか助け船を出してくださり、先生の2年生クラスと合同で講義やらせていただくこととなった。ちなみにハンガリーの大学は3年制で、僕の担当は3年生と大学院生である。うまく回ればU先生の示唆・指導のもと上級生が上記のような微妙な言い回しをハンガリー語にして、上級生にとっても翻訳・通訳スキルアップの役に立ち、2~3年生には痒いところに手が届く日本文化理解になるはず、、、ということでU先生と打ち合わせ。どうしたもんかなぁと思いあぐねていたところに、一縷の光明が差し込んだ感じで実に嬉しい展開であった。

2013年1月26日 (土)

ご恩

20130126_2 25日に2泊させていただいたアルローをあとにブダペスト市内に戻った。かなり雪が積もった真っ白な景色が市内に入る直前に一変して雪がない日常に戻った。川端康成のようにトンネルがあった訳でもなく、、、まさに突然である。
先月お邪魔したショプロンでもそうであったが、個人宅にうかがうと帰りに多くのお土産を頂戴する喜びに浴する。ここでお見せするのもどうかと思ったが、記憶と記録に留めるために写真を掲載する。すでに記したようにA委員長のお祖母さまからは教会カレンダーとしおり、授業参観をさせていただいた学校からは生徒さんからチョコを、お世話になった図書館司書の方からは手作りジャムを、委員長ご両親からは手作りパプリカ粉末とお父さまご友人ご謹製パーリンカをいただいた。
なお、帰宅後に市内で打ち合わせ兼飲み会があり、そこでは高野豆腐、ヒレカツ(ウィンナーシュニツェルじゃないよ)、炊き込みご飯などの和風お食事、魚が不足しているだろうと立派なニジマス姿焼きをご馳走(お土産も)になった。感激である!
もちろんモノを提供されたからではなく、そこに至るお気遣い、お心配りに率直に感動する。先の小学生のチョコも時間的には1分のセレモニーだったが、それをしようと考え、チョコを準備し、生徒を手配し、日本人はお辞儀をするから私たちも、、、と考えてくださったプロセスにジーンとくる。
我々の業界ではよく「学恩」という言葉を使うが(偉い先生にお世話になったり論文を貰ったりする際に用いる)、こちらに来て人の恩、人の優しさを痛感することが多い。大学では国際交流の担当をしていて、大学業務的に、個人的に留学生と接する機会が少なくないが、私はそんなに親切だろうか? 今回のアルロー行きもきっかけは学生飲み会で、残念ながら参加できなくなったU先生がA委員長の実家話で盛り上がって、そこに便乗する形で私が参加という、U先生のお蔭なのである。
上記のご恩を忘れることなく、ここに記し感謝申しあげます。ありがとうございます。

2013年1月25日 (金)

Arlóへ

20130125a
23日~25日とハンガリー北部のArló、Ózd、Egerのオトコ二人旅の宿泊はA委員長のアルロー(Arló)のご実家であった。お父さまはエゲルに単身赴任、お母さまと弟君ははオーズトのそれぞれ会社に働きに、高校に通っている。犬が2匹に猫が3匹。昔は花屋をやっていたといい、家にはそのスタンドがある。
23日はアルローから少し離れた村の学校に授業参観をさせていただいた。かなりやり手とお見受けする校長先生がセレクトした授業は、どれも統率がとれていて、僕らが教室に入ると生徒はクルっと顔を向けて大きな挨拶、歌が響いた。校舎入り口には日本に関する学習成果が貼られていた。校長先生と歴史の先生と懇談する時間もあり、いろいろと日本のことについて知っておられるのも印象的であった。
教室を出ると、学校を出ると。生徒が僕らのあとをクスクス笑いながら付いてくる。道を歩いていると(すれ違う人に挨拶するのはよくあることとして)子どもが振り向き振り向きしながら僕を見る。委員長曰く「たぶん村に入ったはじめての日本人ですよ。中国人もいないから珍しいんでしょう」と。
24日の午前中はアルロー湖に(写真右上)。氷った水面を見ながら、まわりからは鳥の声しかしない凄く静寂な雰囲気を堪能した。考えてみるとアルロー自体が朝晩は犬の鳴き声しかしないとても穏やかな村であった。しかし上記校長先生から、またオーズドでも、この地域のかかえる人種的・経済的な問題も聞いており、穏やかさのみでは済まないことも少し判った(つもり)。
お母さまからはとても親切にしていただいた。寒くないか、ちゃんと寝られたか、コーヒーは要らないか、パーリンカはどうか、昼の残りを食べないか、、、、特に豚煮込みノケドリ添え(Sertéspörkölt nokedlivel)やロールキャベツ(Töltött káposzta)を美味しくいただいた。ノケドリとはハンガリーのパスタであるガルシュカに形状は似ているが、ガルシュカは芋粉が入っているがノケドリは小麦粉と卵だけで作るという。大根おろし器に似た器具で作ることろを見せていただいた。
アルローはもちろんだが、オーズドでも、委員長の高校生の先生、お母さまにダンスを教えていた先生など、ご家族の知り合いによくお会いした。顔と顔が見える関係の残る地域なのだ。そういうこともあり、上記学校の先生方、ご家族、親戚の図書館職員さんなど、いろいろな出会いを経験することもできた。本当に感謝しています。ありがとうございました。

2013年1月24日 (木)

Ózdへ

20130124b 23日~25日とハンガリー北部のArló、Ózd、Egerのオトコ二人旅(実際はA委員長のご家族と一緒)の2日目は、オーズド(Ózd)である。本当はミシュコルツ(Miskolc)で洞窟温泉のはずであったが、寒くて休業中ということが判明し、急遽、委員長のお祖母さまご訪問となった。
オーズドは社会主義時代に重工業が栄えた町で、今は廃虚&公園になっているが、中心部に広大な工場跡地に、写真左上のようにブダペスト市内では撤去されたプロレタリア芸術をあしらった建物が残されている。ここに1万人を越える労働者が働いていたという。
委員長とお母さま、弟君と一緒にお祖母さま訪問。オーズドの高齢者アパートに一人暮らしという。敬虔なクリスチャンで、会うなり、この見るからに異教の者(写真左下)に「信仰は」と問われ、職業柄、ドキドキしながら日本人の宗教性について述べさせていただいた。もちろん通訳は、昨秋、2ヶ月間に及ぶ国際交流基金関西センターで研鑽を積んだA委員長その人である(ちなみに家族は日本語学科に学ぶ委員長の日本語を今回初めて聞いたらしい)。お祖母さまからは教会のカレンダー、しおり、お菓子を頂戴することとなった。
先ほどの工場跡地前の文化施設でハンガリーの伝統的なダンスに関するレクチャーと実演があるというので参加する(写真右下)。考えてみると写真ではよく見るが、実際に目の前で動いている姿に接するのははじめてである。帰りに施設の喫茶室にある往時のオーズドを写したパネルを特別に部屋を開けてもらって拝見した(写真右上)。

2013年1月23日 (水)

Egerへ

20130123a
23日~25日とハンガリー北部のArló、Ózd、Egerに行ってきた。連れて行ってくれたのは学生で自治会委員長のA君。受講生ではないが、時々パブでお酒を飲む間柄。当初、他にも参加者がいたが、前々日にキャンセル。A委員長とオトコ二人旅である。しかも出発10時間前に予定のバスがネット上に確認できず、当日は朝5:45の集合となった。出発前から波瀾万丈の気配である。
長期距離バス乗り場に行くと予定通りのバスがあったので、1時間ほど時間をつぶして出発、、、と思いきやすぐにブダペストを出るといきなりの降雪で2時間半のことろを3時間以上かかって着いたのが、委員長の故郷アルロー(Arló)。人口4千人の小さな村である。
まずは村から離れた委員長の通っていた学校に授業参観にうかがう(別記参照)。その後に委員長宅でお昼をいただき、お母さまの運転する車でエゲル(Eger)へ。この辺りから雪が激しくなり、やや残念であったが、足早に大聖堂(写真左)、エゲル城(写真右上)、エゲルと言ったら忘れてはいけない赤ワインが飲めるパブを回る。有名高校が多いらしく、街中は若い子たちがたくさんいる。
そこからデムイェーン温泉渓谷(Demjén Thermal Valley)に。驚いたのは写真右下のように、露天、屋形、硫黄泉、しかも空を見上げると月まで出ていて、ここは草津か、奥日光湯元かと見紛う雰囲気に大感動であった。サウナとか仮眠室とか関係なく、単純に風呂だけで考えると、私が体験したハンガリーで一番の温泉である。しかも火照った身体を冷まし、しかも適度な運動「スリップした車を押して丘を登る」というオプションがこの後に控えていることは、まだ誰も知るよしもなかった、、、

2013年1月19日 (土)

賀詞交換会

20130119 大学の新入生歓迎行事のパーティで、新入生による手作り名刺交換会をやることがあるのだが、ある時に、ある先生が「賀詞交換会みたい」と言って、その場にいた5~6名の学生の誰一人も「ガシコウカンカイ」という言葉を知らず笑ったことがあった。笑った一人の私も実は「賀詞交換会」なるものは体験したことはなかったのだが、、、
で行ってきました在ハンガリー日本大使館主催の賀詞交換会。商工会でも、議員系でも、企業でもなく、初体験としては、このうえなく公的、本格的で嬉しい。案内は「平服で」と書いてあるが、スーツにネクタイに革靴(ワックスも塗った)という、持って来た衣類の組み合わせとしては私にとっては最も「フォーマル」な出で立ち(+床屋にいったばかり)となった。とにかく短期滞在の私なども呼んでいただき、まことに光栄である。
当初、長く、多くの、○○な祝辞を延々聞くんだろうと覚悟はしていたが、挨拶は大使からだけで、なおかつ短く日本を取り巻く国際情勢にサッと触れられて興味深いものであった。料理は、、、かなり予想はしていたが、びっくりの黒豆、う巻き、数の子などなど、「おおっ」とうなるものばかり。今、これを書きながら「ブタの角煮をもっと食べておけばよかったなぁ」とか「日本酒の銘柄を聞けばよかったなぁ」と、やや反省している。
きっと賀詞交換というのは名刺も交換するんだろうとそばにいる方と名刺交換。トリプルセブンに似た数字3つ系の問題で今苦労している企業の方が「信頼回復のためにミュンヘンから来ました」と言っていたが、本当だろうか。次回会うお約束を交わした方も。大使奥さまにもご挨拶できた。同時に遠巻きに拝見しながら、ご挨拶しなければならない方にご挨拶できなかったことが悔やまれる。
ハンガリーの人も含め何人かの方から「ブログ見てます。面白いですね」と言われた。どちらかというと日本に住む日本人向けに書いているドメスティックなブログなので、望外の喜び(今日、大使もこの言葉で冒頭の挨拶を締めくくっていたなぁ)の反面、言い過ぎ、言葉足らずで失礼の段ありましたらご容赦ください。

2013年1月17日 (木)

ハンガリー的成績つけ

20130117a これまで2回、ハンガリーのお題選び(tételhúzás)の面接試験成績つけ(Jegybeírásが、かなりユニークかつ日本にも取り入れるとよいと述べてきたが、その完結編(たぶん)。
今日と明日は僕の講義とゼミの成績つけの日である。どうするかというと、各講義ごとに受講生一人ひとりを自室に呼び入れ、インデックスと呼ばれるノートに成績を書き込み、なぜこの点数なのかを説明するのである。
やってみてすぐに判ったことであるが、説明はなぜ良い点数かではなく、なぜ満点(5段階評価の5)でないのかを説明することになるのだ。中には納得いかない表情の学生もいた。さまざまな場面でアカウンタビリティが叫ばれるようになって久しいが、日本の大学の成績ほど、いまだにブラックボックスなものはない。「Cでいいじゃん」「単位出しとけばよかんべよ」のなれ合いである。
私は、もう何年も前から全ての講義の開講時に「何のために大学に来ているんだ?」と一席ぶつようにしている。「情報や知識ならネットや本の方がいいぜ」、「成績のため? 単位のため? 出席とるから? そんなもののために勉強してんのか? なんてちっぽけで、なんて意味のない なんて無力な 15の夜ぅぅぅ」って。学生に追い込みをかけているようで、実は、そう言うことによって、単なる情報や知識じゃないものを、成績や単位なんて後から付いてくるぜっていうものを提供しなきゃならんと自分を追い込んでいるのだ。
そうした点から成績や単位や出席というのは、僕の考える学び(それが何であるかは、ここでは書かない)を疎外するものでしかない。だから成績をつけるということに、何か積極的な意味を見出せないでいた。しかしだ。学生の目の前で成績をつけるという、この仕組みは、また違った観点から、私たちの学びの場に心地よい緊張関係をもたらすに違いない。まずは日本で、自分のゼミに取り入れるところから始めよう。

2013年1月16日 (水)

ワインとコーヒー

Dsc_0067 ここで小咄を一つ。ハンガリーは150年間にわたるオスマン帝国の統治下に置かれた訳だが、そこでさまざまな文化が出会った。コーヒーを飲むトルコ人に、ハンガリー人は「あの黒いスープは何だ」と言ったそうだ。逆にワインを飲んで士気を高めるハンガリー兵士の姿を見て、トルコ軍は「雄牛の血を飲んでいる」と恐れをなしたという。
来週、その「エゲルの雄牛の血(Egri Bikavér)」のワインで有名なエゲルに学生に連れていってもらう。来月はハンガリーが大敗を喫し、トルコ軍の優勢に道を明け渡したモハーチ(Mohács)に一人旅。

2013年1月15日 (火)

2度目の床屋

20130115 記録を見ると10月15日に床屋に行っている。日本にいる時は一年に2~3回しか床屋に行かないが、こちらで東洋人の長髪は貧相でいけないので(長髪海外在留邦人の皆さま、あくまでも一般論でございます)、もう一度同じ近所の床屋に。前回でだいたい流れはつかめたので、今回はこんな風に写真を撮るくらい、余裕ぶっこいてみた。
、、と前回とは違う、両手に入れ墨、右耳ピアスのあんちゃんが担当。英語で注文を伝えたら、「お前、何言ってんだよ。まぁ、座れよ」という感じ。こんな狭い店に理髪師が2名もいたのか。前回のおっちゃんは息を吹きかけて切った髪を飛ばしていたが、このあんちゃんはクシで髪を払い落としていく。仕事はていねいで、カミソリですいて、ピンでとめてカット、電気カミソリで襟足を処理して、ブロー。所要時間15~20分で、前回同様2500ft(1000円)。床屋にはチップを渡すとどのガイドブックにも書いてあるが、学生に聞く限り「要らないんじゃ、、、」だったが、隣のおばちゃんが放り投げるように300ftのチップを置いていったので、僕もそれに従った。

2013年1月14日 (月)

雪見温泉あるいは寒中水泳

20130114a
久々に「湯」カテゴリーの記事である。
facebookを通じて日本では大雪に見舞われたということを知ったのだが、同時刻、ブダペストでも、この冬最大の積雪をみていた(写真左上)。ずいぶんと離れた地域で同じような気象状況なのが面白く、また修論を提出した院生の指導もあって、つい徹夜をしてしまった。
さて日本人は雪を愛でながら露天風呂につかることが好きなのは国際的に常識のこと(?)だが(韓国では、ここに猿が一緒に入ると信じている人がいて驚いたことがある)、偶然、今日は新装開店をしていたというルカーチ温泉に行こうと思っていた。ここには昨年9月に行ってふられた思い出があり、リベンジを狙っていたのである。
新装開店というだけあって、サウナ充実スペース(1000ft増し)やジムや食事処もあるようだが、最初なので一番ベーシックなものにした。3000ftでプールと風呂と2つのサウナが使える。着替えはキャビンではなくロッカーで、鍵を閉めるのは係に頼み、開けるのは自分で行うという面倒な仕組みであったが、客の一人が親切に教えてくれた。
まずは雪見温泉よろしくプールに、、、冷たい! 当たり前である。温泉で温めているといえども、雪解け水が入っているのである。22度と26度と書いてあるが、そんなんじゃないと思う。慌てて係の人に室内温泉の場所を聞き、たどり着く(けっこう複雑)。4つの湯船にスチーム/ドライのサウナが一つずつ。湯船一つひとつは、それほど大きくない。10名もつかれば満員感がある。
サウナに入り、水風呂代わりにプールに飛び込む。これを3回やって、20m弱のプールを20往復したから7~800m泳いだことになる。今、眠くて眠くて仕方がない。30年ぶりに水着を買ったからといって調子にのってはいけない。
掛け流しのキラーイにお湯を提供している、表で温泉水を売っているというから、掛け流しだろうと思ったら循環だった。飲用温泉の蛇口は止まっていて、ペットボトルを持った方々が残念そうな表情であった。総じてセーチェニ温泉の小型版という印象を持った。1000ft増しのサウナ充実スペースはジェットバスや打たせ湯もあって気持ちよさげだが、合計4000ftは、やや高め感が否めないな。帰りに飲用温泉500cc(30ft)を一気に飲み干した(写真左下)。
これで、ブダペストの温泉の主だったところ(セーチェニ、ゲッレールド、ルカーチ、ルダシュ、キラーイ)は制覇したが、一番は夏なら庭のあるキラーイ、一年を通しては「ふんどしの日」(男専用日)があるルダシュだろうか。

ミカンが美味しい

Dsc_0041 こちらで美味しいなって思うものはいくつもあるが、意外にも「ミカン」が美味しい。愛媛県に30年間、本籍があった僕が言うのだから間違いない。
日本の標準的な温州ミカンと比べると小粒で、最初は「イヨカン最高ぞなもし」と伊予弁で高をくくっていたが、ふと買(こ)うてみたら(どこまで訛っとんじゃい!)、かなりレベルが高い。甘く酸っぱく、しかも味が濃い。
市場での買い方は一個一個選ぶ方式。不思議なのはかなり慎重に選んだつもりだが、なぜかアパートに帰って、夕方取り出してみると1個か2個すでにイタみつつある。市場に行くのは午前中だから6時間くらい経っているのだが、その間にイタむのだろうか。考えられるのは、
(1)僕の目利きがなってない、
(2)レジのあんちゃんがサッと入れ替えた、
(3)6時間の間にイタみが進行した、、、
だが、どう考えても(3)なのである。
実はミカンだけなく、パンも牛乳も挽肉も、あっという間にイタむ。朝のアパートのゴミ箱には、そうしたパンが丸ごと捨てられていることが珍しくない。防腐剤が添加されていないからなのだろう。逆に言うと、日本の食品はかなり防腐剤がまぶされているのかもしれない。

2013年1月13日 (日)

あと60日

20130113_2 今日は五輪出場ハンガリー女子柔道家も癒されたというニュースで有名なアッティラヒルに行く予定だったのが(リンクがいかにも備忘録っぽいね)、天気予報の現在マイナス4度を見てビビって自宅待機。こういう日に相応しいのは温泉かなと、これもフト検索したらルカーチ温泉が新装開店したらしいことが判った。さっそく準備をしたが、そうだ前回ルダシュ温泉で水着が破れたので、これを新調するところから始めないといけない。ということでマイナス3度の日に水着を買いに西駅横のショッピングセンターに行く。
大阪で学生時代を過ごしたというのに、今、ボケ/突っ込みの鍛錬中のK嬢が別件メールで「どういう生活をしていたら水着が破れるのですか」と聞くので思い返してみると、温泉で自然に破けていた。日本人に比べて他人のことにあまり頓着しないこっちの人もさずがに破れた水着をぶら下げたまま(写真左上)サウナに入っている東洋人には注目するので、少し早めに温泉を切り上げたのだった。もっと思い返してみると、これを買ったのは大学2年生の時だから、もう30年も使っている。経年劣化だね。
従って「水着を買う」ということ自体30年ぶりだ。水着というのは試着して買うものなのか? その際、直接肌に当てていいものなのか? 日本でも迷うようなことが、ここブダペストで招来するとは思いもよらなかった。似たような形状だからといって女性下着売り場をうろつかないように、試着をしていいものかどうか事前に確かめるように、試着室はパンツを脱いで構わない状況なのかをよくよく見極めるようになど、いくつかを自分に言い聞かせて出発、、
結局は肌着の上から3枚ほど試着し、写真のものを購入。あと30年着るのかな?
ショッピングセンターは大きすぎて、あまり行かない。こっちに来たばかりで右も左も判らない8月に、涼しい日が続いて、長袖が必要だろうと、ハンガリー語研修のクラスメイトから「日本でも売っているメーカー品を買うなら」と紹介されて行ったのが最初だった。それから本当に涼しい秋が来て、冬になって、もうすぐ春だ。はたと気がつくと、滞在は今日であとちょうど60日間である。と思ったら(今、この文を打っていても)涙がこぼれそうになった。傷心を癒すため歩いて帰ろうと思ったが、寒いんでトラムに乗った。写真は、何百回と通った、Akácfa通りとDob通りの交わるところ。白っぽい建物が住んでいるアパート。

2013年1月12日 (土)

ハンガリーで座禅

Dsc03173 以前訪問して参禅できなかった禅堂に再度行く。今度はちゃんと時間を確認して行ったので問題はなかった。詳細は長くなるので割愛するが、座禅を組むのは、かつて(財)全国青少年教化協議会で各地の青少年育成をしいてる寺院めぐり(1996年~2001年)をした際、いくつかの寺院で青少年と一緒に試みたことがある程度である。
20分ほどの案内、40分ほどの座禅、30分ほどの粥坐(お粥をいただく)、そして礼拝の後に茶話会となった。といってもエスプレッソを飲むのが当地らしいのだが、粥坐の時の五観の偈(食事の際の唱え言葉=日本語)の話になって、「理解できますか」と問われた。とっさに何を聞かれているのか判らなかったが表記がヘボン式ではなく、ハンガリー語表記、発音もハンガリー式なのである。やりとりが日本人(私)がハンガリー人から日本語を教わっているような形になって皆で大笑い。
大変親切にしていただき、禅堂のことや、参加者の参禅の動機なども教えていただき、帰りは車でおくってもらった。ありがとうございます。

2013年1月 9日 (水)

ハンガリー的期末試験

20130109
時々自嘲を込めて述べるのだが、日本の大学教員の多くは自分が受けてきた高等教育にとても「こだわる」。何度か、ゼミは3・4年合同か、別々かで長い論争になって結論がでなかったこともあった。自分が未経験の他の方式が「信じられない」=とてもできないと思ってしまうのである。
前にも書いたが、かく言う私もハンガリーの大学では講義ごとに面接試験を実施することがあると聞いて、まず思ったことが「信じられない」だった。よく理解できず、学生にいろいろ聞いたら、その面接試験でよく用いられるのがカードでお題を引いて説明するというものらしい。U先生によれば"tételhúzás"(テーテルフーザーシュ)と呼ばれているそうだ("tétel"=「課題、お題、テーマ」、"húzás"=「引くこと」)。
寡聞にして知らないだけかも知れないが、面接試験といえば日本では卒論の口述試問以外、多分、講義の試験としては実施しないだろう(芸術系はありそうだな)。またカードを引いてお題を説明するというのも聞いたことがない。そして、この話を聞いた時、「信じられない」の次に思ったことが「やってみたい」であった。きっと楽しいのだろうと。そこで講義の最初のお約束(試験は事実を確認する穴埋め方式)を反故にして、この"tételhúzás"を実施。
いやぁ~、、、良かった。受講者も教員も適度の緊張感があり、カード数枚ということから、単に用語を説明するのではなく、いろいろな発展も期待できた。キーワードだけでなく、写真やグラフも入れてみた。例えば「スピリチュアルブーム」「団塊ジュニアの女子高生の写真」「パサースポット」の3枚を引いたら、どんな「スピーチ」が可能だろうか。何ともワクワクするではないか!
もちろん受講者は私より緊張したようで、そう簡単にスピーチを組み立てることはできなかったようだが、私としてはこのシステムを日本の講義にどう運用するか、今、いろいろ思いを巡らしている。

2013年1月 7日 (月)

行列のできる両替屋

 

Dsc_0025_4 金のことをブログに書くのは下品でよくないと言われたことがあるが、一言。
円安である。どこで両替するかは海外暮らしの悩ましいところだが、僕は結局、アパートのそばの両替屋に落ち着いた。写真のようにいつも行列だからレートがいいのだろう。ただ、他と比べて、スッゴクいいかは疑問であるが、、

お得な両替をする秘訣は簡単で――両替した後に数日間は他の両替屋などのレートを見ないこと――それに尽きる。

[2013.01.11追記]O先生からレート/両替屋検索サイトを教えていただいていたんだ! これは便利。

2013年1月 6日 (日)

二日続けてお墓参り

20130106a
昨日同様にお墓参り。今日は市営墓地(Új köztemető)。目的の一つはハンガリー動乱の際の首相で、ソ連軍によって捕らえられ、秘密裁判で処刑されたナジ イムレのお墓にお参りをすること。ネットで調べると入り口から最も遠いことに墓地があることが判った。直線距離で1.5kmほどである。昨日とはうって変わって寒く、道は凍結している。中央の広場を左折したあたりから人影がなくなり、やや心配にもなったが、1度道を間違えただけで、上の写真右のようなモニュメントが見えてきた。
途中、注意深く墓地を観察すると、明らかに昨日のファルカシュレート(Farkasréti temető)とは異なる。第一に航空写真からも判るように、ほとんどが茂みになっていて、墓のかなりの部分はその茂みを分け入って行かないといけない(上の写真左下)。第二に壁埋め込み型の墓地はあるものの、かなり不安定な部分に立てられていることに気づく(上の写真下真ん中)。昨日は墓地の周囲の壁や葬祭場の壁といったところに設置されていが、ここでは壁が屏風のように重なって作られている。これが何を意味するかは、まだ判らない。
その他、昨日はなかった/気づかなかったものとして特筆すべきは、下の写真左上で無名墓地である。全く無名のものもあればプレートに性別とだいたいの年齢が書かれているものもある。ナジ イムレも最初はそこに埋葬されていたというが、この場所ではないようだ。また国別の墓地も見られた。下の写真右上はトルコ人墓地で、そばにはゲートによって仕切られたもっと立派なものもある。また同じ写真の右下は第二次世界大戦時にハンガリーで戦死したポーランド兵士の墓である。そして同じ写真の左下がナジ イムレ首相の墓。誰も献花をしていなかったので、手向けるべき花を持って行くんだと後悔したが、数キロを往復するには、空は雪模様になってきて断念せざるを得なかった。
20130106

2013年1月 5日 (土)

正月に墓参り

20130105
宗教学者は墓地を見るとワクワクする。墓園の位置、墳墓の向き、墓石の形、参拝者の姿・書き記したもの・仕草・表情など、全てが宗教の根幹にある、人間の力ではどうすることもできない「死」に対する観念をあらわしているからであろう。とはいうものの10年ほど前は、実はそれほどこの問題に関心がなく、むしろ「生」の方に興味があったが、人生も折り返し地点に来たので、僕も自然とこうなったのかもしれない。
ということでこちらに来て何度か目(ブダペストでは)の墓参り。ブダ側の最大の墓地、ファルカシュレート(Farkasréti temető)へ行く。本当のことを言うと、上記の「死」云々よりも、ショプロンで紹介されたハンガリーの現代建築家マコヴェツ イムレ(Makovecz Imre)が設計した葬儀場(写真左上)があるというのと、今日は最高気温9度に最低気温7度で、すごく暖かかったというのが大きい。
ブダ側にあるというと遠く感じたが、調べたら8号線バス乗り換えなしで15分だった。お目当ての葬祭場の内部は見られなかったが、2つのエリアにまたがる高大な墓地を見て回る。3時間かけて、かなり早足で歩いても全体を見て回るにはほど遠い広さである。入り口のグリフォン(左下)、別エリアの解放感のある葬儀場(右下)、綺麗に飾られた墓、壁埋め込み型墓地(右上)などが急勾配の丘に広がっている。壁埋め込み型は墓地の周囲の壁、内部、葬祭場脇・地下などいたるところに設置されている。これは前に行ったケレペシ墓地(Kerepesi temető)では気がつかなかった。実際、あるのかないのかは判らないが、少なくともファルカシュレートのようにそこら中が壁埋め込み型というのはなかったはずだ。単に土地活用の問題だけではないだろうから、何か理由があるに違いない。

2013年1月 3日 (木)

ハンガリー的酒宴料理

20130103
こちらに来て、皆さまに本当に親切に、仲良くしていただいております。海外の年末一人暮らしは寂しかろうということで、多くの方にお声かけしていただきました。感謝申しあげます。その一部を紹介しますと、、、
①ショプロンのクリスマス。茹で豚に3種類のサラダにパテ。これを基本にいろいろとご馳走になりました。
②「ウサギが捕れた」ということで頂戴しました。残った脂で野菜の旨煮をつくりましたが、これも美味しかった。
③アヒル鍋でございます。見た目も美しい鶏唐や巻き寿司もいただき、とてもとても嬉しかったです。
④「友人がサラミを作った」ということでいただきました。手作りの味です。お店のものは食べられないかも。
⑤レンズ豆で作るお正月の縁起物。日本でいうと「見通しがいいからハス、金銀融通の銀杏・柚、マメマメしく働く黒豆」といったところでしょうか。2012年内に食べてしまいましたが。
⑥鴨鍋です。ダシはもも骨からとったもので。豆腐やエノキも手に入るのですね。
匿名ブログゆえ、お一人おひとりのお名前をあげることはいたしませんが、改めてお礼申しあげます。ありがとうございます。

2013年1月 2日 (水)

ハンガリー的初詣

こちらに来て、かなり早い段階からDobogókőというパワースポットの存在を何人かの方が教えてくれた。「鼓動する石」という意味で地球のチャクラと呼ばれている。中には家族旅行で行くから一緒に来ないかと誘われたことがあったが、なぜか行く機会を逸していた。こういうものはご縁もあるので決して無理をしてはいけない。
結局、秋も深まり、「暖かくなったら行くかな」と思っていたこところにショプロンでS氏より「行くなら元旦。人も多いので道に迷わない」との情報を得て、初詣としゃれ込んだ。
前の晩に飲み過ぎたこともあり、出発は2時間ほど遅れて9時台。Pomázまで近郊列車で行き、そこからバス。かなり寒い。バスには若者が10名ほど乗り込んで、「なるほど、皆、パワースポットに行くのだな」と思ったが、途中で全て降りた。ようするにパーティから朝帰りだったのだ。Dobogókő街道に入ると乗っているのは僕だけ。11時過ぎに到着。濃霧、霧雪がビュンビュン吹いて、目に入る人影は駐車場の係員だけだった。
体制を立て直すべく山荘のような建物に入り、鼻ピアスの女の子にコーヒーを注文。山荘にいるのは客数名と犬とこの鼻ピアス嬢だけだ。ここにいてもしょうがないと山荘付近を歩き、最初の見晴台スポットを見つける。そうこうするうちに次のバスがやってきて、そこからは人が何名か降りてきた。駐車場の車も増えて、視界に人が入ってきたので一緒に山歩き。犬を連れている人、赤ちゃんを抱っこしている人、こんな吹雪いている中、大丈夫なのかと思うが、大丈夫、、、ではなく、あちらことらで凍結した山道に足を取られて転倒している。僕も3度ほど滑り、そのうち1回はしたたかに背中を打ち付けた。
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山歩きはいくつかのスポットのマーク(写真右下)を頼りに歩く。山の天気は変わりやすく吹雪いていると思った瞬間に突然晴れ渡り、青空が広がることがあった(写真左上)。やがて目的地が異なるためか、まわりに人気がなくなって天気が悪くなってきて、ふと「宗教学者、ハンガリーのパワースポットで遭難・行方不明」という小さな新聞記事が頭をよぎったが、それを振り払い歩き続ける。雲海(写真右上)を見下ろす目で空を見上げると霞がもの凄い勢いで行き交いしている、霊気みなぎる景色である。3時間弱で3ヶ所ほどの見晴台スポットとその周辺をまわる。教えてもらったÁrpádhegy、Rámhegy、Mágushegyというスポットは、雲海を降りて、さらに先だ。春になったら、もう一回来よう。
帰りに初詣の精進落としで山荘前で調理されていた鍋の中からízes pörkölt(美味しい煮込み)を食べ、ワインを飲む(写真左下)。それにしても寒かった!

2013年1月 1日 (火)

ハンガリー的大晦日・新年

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1月1日は別記のようにDobogókőというパワースポットに行くため、早めに寝ようと思ったが、少し(かなり)酒が入って、外の喧噪に誘われるように街にでる。Deákを経てVörösmartyへ。かなり高い比率でボトルラッパ飲みの皆さん、爆竹や打ち上げ花火を鳴らす若者が街を占拠している。というか、ボトルラッパ飲みか、花火に興じているかじゃない方が少ないんじゃないか。
Király通りで、いろいろからまれつつ0時を迎える。いわゆるカウントダウンはなかったよう気がする。Vörösmartyの広場を一回りして、1時半頃帰宅。2時過ぎに消灯。予定では6時台に出発するのだが、起きられるだろうか。

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