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2013年2月

2013年2月26日 (火)

黒澤明監督「生きる」

20130226
前週の映画は「生きる」で、今週はディスカッション前におさらい。音声が聞き取りづらかったので、かなり念入りに主人公の心境が変わるシーンを逐語的に説明する。ディスカッションは3つのキーワードを書いてもらうものだが、心境の変化を段階的に描くものと、心境の変化を3つ書き出すものに分かれたが、なかなか日本人が日本語でも言いづらいことを的確に表現している。
例えば写真右上の班は「鈍感」「甦る」「いっしょうけんめい」にまとめた。写真右下の班(院生)はおかれた状況のネガティブさ→peak experience→状況のポジティブさ→遺されたものという段階を説明した。写真左上は共同担当者のU先生が自分の考えて話されているところ。絵本翻訳家らしく『100万回生きたねこ』を引き合いに出され、泣き出す学生もいた。しかしまあ、学生の目力の強いこと、強いこと。

2013年2月22日 (金)

朝から雪

20130222
教え子が中欧三都巡りのついでに訪ねて来ることとなり、気候や気温について問い合わせがあった。訪問ではなくても、日本の、いろいろな人から聞かれることだが、常に答えは「東京の方が寒いよ」だ。マイナス5度くらいになると確かに違うが、体感温度は東京の方が低いとは、こっちに来た人が異口同音に言う。
そのような生意気なことを言ったとたんに雪だ。しかも、朝からかなりの量。雪とか雷とか台風になると表にでたくなる意外に困った性格なので、取りあえず1ヶ月ぶりくらいに階下の食堂でモツ煮込み定食を。「Pacal,,(ハチノスの、、)」と言ったとたん「rizzsel és leves, kicsi&kicsi(ライス添えにスープ、両方とも小)」と二の句を継がれた。おっちゃん久しぶりなのに判っているじゃないか。ここでの昼食をまた再開するかな。
さて教え子が来たら連れていくことになるであろうAndrássy通り(右下)からメトロに乗り、Váci通り(左上)を今回こっちに来てはじめて歩く。ほらね誰も「傘をささない」だろう、、、はいいとして、うーんお土産だったら、中央市場でいいかな。
朝から6時間かけて35本のメールを出し、6本のハンガリー人の日本語作文を添削したので、昼過ぎなのに頭が朦朧としていたが、雪でも雨でも歩くといろんなことが整理される。天気は悪いが気持ちは晴れた。実は嘘のような話だが、昨晩、階下のパブで誕生パーティが開かれていて、零時頃、ブログ前記事で触れた「ハッピーバースデー」が、プレスリーの歌声で流れたのだ。まるで私の残り20日の心機一転を祝うかのように。

2013年2月20日 (水)

晴れのち雪、そして

20130220
黒澤明の「生きる」を35年ぶりに見て、また学生に視聴させるクリッピングのために何度も繰り返し吟味したせいか、けっこう自分の人生に引きつけて感じることがあった。写真上のは35年前は何となく見過ごしたが、主人公が喫茶店で何かに目覚め階段を駆け下りるシーン。バックでは喫茶店で誕生会が開かれて、友達が「ハッピーバースデー」を歌う中、主役がやってくるというもの。ちょうど主人公の「もう一つの誕生」を祝うかのように、、、ベタだが、凄い!
日本から次々と業務連絡のメールが来る。カリキュラムや学会事務、、、どうやら中規模の学会の執行部に選挙で当選したようだ。否応なくハンガリーから日本の日常へ頭が切り替わる。しかし、この地でやり残したことがあまりにも多すぎる。日本に戻ってからの業務を考えると、何となく「生きる」の主人公に自分を重ね合わせてしまう。息苦しくなって悶々としながら、天気が良いので散歩に。
出たとたん、粉雪である(よくある)。フードを被ってぶらつく。なぜか足は8月によく行った公園へ(左下)。語学の研修の前に、ここで数字の読み方とか名詞の変化や複数形の暗記をしたっけ。結局、ハンガリー語は上達しなかったなぁ。向こうに見えるのは何だかんだで一番お世話になった市場改装型のSPAR。そのままDob utcaを歩く。小さなKóser(ユダヤ食品)のお店が多く(下真ん中)、一度、冷やかしに入ろうと思っていたら、道路と周辺建物の工事でどんどんなくなっていった。雪のシナゴーグを見て、Király utcaをアパート方面に戻る。「どこに住んでるんですか」と聞かれて「AkácfaがKirályにぶつかるところ」と言うと、多くの人は「教会のある、、」(右下)と判ってくれた。「前に行列のできるピザ屋があって」というと大抵は笑いがとれた。
こっちに来たばかりのころを思い出したせいか、より一層、感傷的になった。帰国まであとちょうど3週間である。いろいろな気持ちが絡み合い、重苦しく、ふとこのまま日本に戻ろうかとも思った(搭乗日が変更できる航空券のはず)。しかし、そんなことができる訳もなく、講義のためにコピー用紙を購入。偶然、知人に出会い、飲む約束をしたりもした。いつの間にか晴れになっていた。アパートに戻り、気がついた。そうだこの素晴らしい街にあと3週間も居られるのだ。残りの時間をより有意義(決して今までも無意味じゃない!)に使おうと心に決めた。「ハッピーバースデー」ほどではないが、いろんなことが整理された感じがした。

2013年2月19日 (火)

おくりびと

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「おくりびと」を見てディスカッション。なぜ美香は納棺を汚らわしいと言ったにもかかわらず、大悟の仕事を受け入れるようになったのか。ハンガリー語で30分で議論して、日本語キーワード3つを紙に書いて日本語で2分で説明するというもの。
最初はうまくいくか心配だったが、みんな熱心に(準備も議論も)取り組んでいた。納棺師という、この映画までは日本人も(恥ずかしながら宗教学者も)あまりよく知らない仕事を扱った映画だが、死の拒絶、死者への尊厳、仕事の静謐さ、そこににじみ出る人間関係などは、日本人もハンガリー人も共通して、この映画から得た印象なのでだろう。
講義は2コマ続きで、この後、黒澤明「生きる」を見る。予想通り、画質や音声の見づらさ、聞き取りづらさ、そもそも日本語が難しいということから、「おくりびと」のような集中した視聴が確保できなかった。来週はちょっと心配。

2013年2月16日 (土)

世界遺産に住む友人

20130216
ハンガリー出身のシルヴェスター・リーヴァイが、ウィーンの世界遺産の一つシェーンブルン宮殿に住んでいるのは、つとに有名であるが、同じく世界遺産のブダ城内に住む友人の家へ行くことになった。「ひたすらワインを飲み倒す夕べ」と題された会であるが、主催者ご夫婦とワイン通の女性と小生の4名の出席である。
前から国立図書館のそばに住んでいるのは知っていたが、googleマップで住所を下調べしたら、本当にブダ城の敷地内であった。教会と博物館と土産物屋とレストランしかないと思っていた。アパートにはブダ城のラビリンスにつながっているような地下室があってワインセラーとして使われていた。ここから気に入ったものを選び、お部屋に。
ちょっとしたサニールームのようなスペースがあって、そこにワインをかざすと、まるでレストランのような写真が、、、羨ましいね。ちなみに白は光にかざし、赤は白い背景にかざすとはワイン通の方のご意見。みんなでグラスを陽にかざしている姿は、外の観光客からは秘密結社のイニシエーションに見えたであろうか、、、悪い評判が立たねばいいが。
やわらかな白にフレッシュなロゼにスパイシーな赤をいただく。一つひとつ解説付き。大変、贅沢な時間を過ごさせていただいた。ありがとうございます。

2013年2月12日 (火)

講義開始

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急きょ担当することになった講義「映画で学ぶ日本の死生観」。当初、受講生が来ないんじゃないかと思っていたところ、U先生クラスとの合同にしたら、教室に入りきれない50名の受講者。大学院を中心にしたアドバンスコースと学部2年生を中心にしたベーシックコースに分けることに。
1回3時間。毎回お題を出して映画を40分ほど見て、そのお題をめぐってハンガリー語で議論をして、日本語で報告するという流れで、5本の作品を見る。日本では普通にやっているグループワークが、こっちではどうなるのかも楽しみである(U先生担当)。日本では必須のアイスブレイクは? 司会とか書記は?
1本目は「おくりびと」、2本目は「生きる」。映画全編を見る訳ではないので、写真のような相関図を作成してストーリーを知ってもらう(英語版ウィキペディア様、本当にありがとう!)。たまたま2つの作品の写真を並べてみたが、「生きる」の画力というか、人物の表情に見入ってしまう。「生きる」の小田切みき(Toyo役、チャコちゃんシリーズのチャコの実母)の写真をキャプチャーしようとすると、どれもこれも凄くいい表情なので、申し訳ないが広末が色褪せてしまう。目の輝きが違う。志村喬はもちろん、伊藤雄之助などは怪演である。モックンもこういう職人っぽい役づくりがうまいのだが、志村や伊藤と比べると、、、
まぁ、1950年代の日本映画は輝いていたからね。なおハンガリーの学生の何人かが「七人の侍」を見ているのには驚いた。

2013年2月11日 (月)

Pécsへ

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一ヶ月2391アクセス、786訪問者(うち19.3%外国語使用者)という国際派人気ブログにようこそ。ちょっと書かないだけで、更新待ってます、いい気になって観光してんじゃないよという相反するご意見を頂戴する賛否両論・論争型ブログでもあります。
Pécsに着いたのは9日の昼過ぎ。ずいぶん迂回してホテルに着いて、荷物を降ろして、まずは歩いて1分のセーチェニ広場の旧モスク→カテドラル→街に数カ所ある世界遺産の初期キリスト教墓地を歩く。カテドラルの内部(写真左下)が美しい。欧州の教会はどこも美しいが、ここは中央の台座に天蓋があって、それが天井画を遮り、それがかえって一層、天井画に注意を向けるようになっている。
街を一回りして夜はCsászár Pinceへ。ワイナリーだという割にはワインの種類が少なく店名を冠しものはスパークリング4種類だけだった。それはいいとして10日は雪が積もって、前日のセーチェニ広場をより一層、美しくしていた(写真右上)。朝からMohács(別記事)で、戻ったのは18時近く。夕飯はホテルでおとなしく食べた。11日は晴れたが、時々粉雪が舞い、マイナス3度の寒い朝だった。しかし昼の列車でブダペストに戻るので、それまで街を3時間ほど歩く。ミナレットのあるモスク(写真左上)を見て、G先生に教えてもらったジョルナイ焼きの工場(写真右下)まで。工場は広く入口から裏口まで歩いただけで15分ほどかかり、いくつかお土産を見たら時間切れだった。ジョルナイ焼きをなめていたね。

内省の一人旅

20130211a PécsとMohácsの2泊3日の一人旅より帰ってきた。向こうでは粉雪がズーッと舞っていたが、ブダペストはもっと降ったようで駅について積雪の多さに驚いた。
報告は後日に委ねるが、Pécsまで片道3時間、さらにMohácsへはバスで1時間の旅。内省が進むねぇ。基本、誰とも口を利かないから自分と向き合わざるを得ない。旅の効用の一つである。
写真は9日と10日の晩のレストラン。いずれもPécs。初日は Császár Pince(写真右)、二日目は泊まったPalatinusのレストラン(写真左、泊まったホテルのレストランで夜食べるということはほとんどないのだが、朝食が普通に良かったので夜使用)。それぞれ途中1組のカップルがいたものの、僕以外は誰もいない。一応、ちょっと良さげなところに入ったのだが、、、(味もサービスもちゃんとしていた)。ビール&ワイン2杯とメインでチップ込みで4~5000ft。人が多ければ、その観察で気が紛れるが、客が僕だけとなると、ワインリストを隅から隅まで読んでも、まだ余りあって、結局は自分の内面に向かい合わざるを得ない。メモなんかしたりして、、、ね(ほとんど内観療法だね)。
10日のお店ではかかっていた曲がカーペンターズ(なぜ?)で、食事を終えて出ようとしたら"Yesterday Once More"がながれたので、これを聴きながらワインをもう1杯追加した。内省が弥が上にも進んだことは間違いない。

2013年2月10日 (日)

Mohácsへ

20130210
Mohácsである。きっかけは学生に「ハンガリーのスピリチュアリティ」というテーマを出したら、この街の“Busójárás”という祭りについて写真入りでレポートが提出されたことによる。『地球の歩き方』にも本文外の小コラムに10行ほどの説明も載っていた、、、ということで出発となった。当初はMohácsに泊まるはずが、ホテルは2ヶ月前から満員(あるいは法外な値段)なので、バスで1時間のPécsに宿をとった。これは正解だった。
さてMohácsに10時頃着いて、すでにかなり盛り上がっている街を一周。ドナウ川沿いの慰霊塔(右上)や教会をいくつか回る。クロアチア人やセルビア人も多く、教会も分かれているようだが、セルビア正教会(写真左上)が―半ば崩れかけた内装が逆に重厚さをたたえて素晴らしかった。小さな堂宇にずっと佇んでいたい気になった、、、が、そうは言っていられず再び街へ。
写真下にある仮面を被ったBusóが街中を闊歩していてる。トルコ占領下に森に逃げ延びたMohácsの人々が、騎士のお告げにしたがってマスクを被り、火をたき、大きな音をたてて領地を奪回するという物語にちなんでいるようだ。こういう祭りはだいたいキリスト教や迷信打破によってなくなっていくものだが、1週間にわたって行われる行事が残っているとは! 世界無形文化遺産にも登録されている。
15時からはメインストリートでパレード。男性器をかたどった杖や張形で観光客をからかう、若い娘をサンドウィッチにしてはしゃぐ、液体、粉を振りまく、、、日本語のガイドには「なまはげ」と書かれているが、いやいや、これは日本で言えば各地に「奇祭」として残る縁結びや安産や豊穣などを願う性神信仰ではないか。私の隣にいた娘はBusóの生け贄のようになって、最後は顔に炭を塗られ、水をかけられ、髪の毛は粉で半分真っ白だった、、、

2013年2月 7日 (木)

グループワーク

来週からの講義に関して同僚と打ち合わせ。今回の講義は映画を見て日本人の死生観について考えるものであるが、二転三転して、思い切ってハンガリー語によるグループワークを取り入れることとなった。もちろんハンガリー語に関しては僕ではなくU先生の担当。
一方向ではなく双方向、そしてグループワークを取り入れるとなると、かなり状況に左右される。経験上、学生の方から予期せぬ、あるいはこちらが求めていないレスポンス/ワークの流れがあることが多く、その際の整流がファシリテータとしての教員に、あるいはグループリーダへの示唆・支援がスーパーバイザとしての教員に強く求められる。どこまで整えるかが難しい。僕の立場は講義にはゴールがあり、多様性を認めつつも、いつしか「ある回答」に向かうのが「美しい」のだが、U先生はむしろ多様性こそを認めるという立場であった。
3年前に宗教学の講義に関する研究会で、僕が日頃の講義の一端を報告することがあり、ある大先生に満座の席上「一つの回答に学生を導くのは間違っている」と厳しく叱責され、研究会でも意見が割れたのを思い出した。こうなると価値観の問題となるのだが、立場が異なる教員が一つの講義を作るとなると、実際の協働作業の中で擦り合わせていくしかない。
ふと振り返って、教員歴20数年で2~3回大きなシフトがあった。教壇に立ち始めの時、僕も講義というのは学説史や概念や学者の業績を教えるものだと思っていた時期があった。しかしやがて手応えがなくなり、90年代の半ば頃から「問い」を出し、学生が「回答」を自力で見つけるという基本路線が出来てきた。しかし決定的だったのは98年だったか、ある学生から「先生は双方向を目指しているかもしれないが、僕が知りたいのは隣に座っている学生が何を考えているかなのだ」と図入りでコメントしてきたことだった。ここから教員=ファシリテータと考え、ワークショップ、グループエンカウンター、ディベート術、初等教育のクラスづくりなどを学び、グループワークをメインにすえた学生主体の講義作りを目指してきた。
これらは同好の士もいて、かなり手応えがあったが(高等教育の雑誌への寄稿や新聞への署名記事を求められたり、他大学でのFD用にビデオなども制作した)、この学生主体というのは、5年くらいで暗礁に乗り上げた。今は詳しく書かないが、2006・07年ごろ、学生主体の旗を降ろし、グループワークは最低限に抑え、昔はやろうと考えもしなかった「知識量を問う試験」などを始めるようにもなった。学生主体から教員主体に大きく舵を切ったのだ。しかし2010年から教育活動の一部を学外のコミュニティスペースに求めて、再びグループワークの重要性を感じるようになっている。正確に言うと、教室という実験室を出て、社会集団としての学びのコミュニティの構築に向かった。20年間試してきた実践を改めて試行錯誤し、軌道修正しているというが今の現状だろうか。いや、そのコミュニティスペースも僕がこっちに来ている間に閉鎖となったので、再び暗礁に乗り上げたのかもしれない(大学に僕の戻る場所はあるのだろうか)。
そんな中でハンガリーでグループワークをすると思いもしなかった。扱うテーマが日本人の死生観だけに言葉のみの教育の限界は何となく見えるのだが、だからと言って、映画とグループワークが有効な手段なのか、まだ自信はない。U先生の働きがかなり重要なので頼みますよ! 僕自身かなり緊張しているのは事実である。

2013年2月 5日 (火)

パールフェリ現象

20130205
お世話になっているK先生に誘われてハンガリーで「パールフェリ現象」と呼ばれるカトリック司祭にして精神健康専門家のパール・フェレンツ講演会に行ってみる。会場となったMOM文化センターは超満員だった!
当初、司祭が登場するや凄い熱狂かと思ったが、ジーパン姿の司祭はフラッと壇上に上がり、特に儀式めいたものはなく、講演が始まった。先生の同時通訳のおかげで、話の内容はよく判った。神さまの話はなく、ほとんどがエピソードやたとえ話を用いた、心の使い方、人間関係、欲望・希望・価値・モラルに関することであった。日本で言うとテレビに登場する「ご意見番」というところだろうか。後半、少しスピリチュアリティへの言及、最後は祈りの言葉で締めくくられた。
司祭は舞台を歩き回り、時にドッカと腰を下ろし、ちょっとした物まねを交えながら話をする。会場は笑いに包まれている。日本でスピリチュアルや体験談の研究をしている者なら、それほど抵抗なく受け入れられるものである。先生も指摘されていたが、消費社会における人間のあり方に焦点を当てた内容である。つまり欲望が拡大していくなか次々に欲しいものを見つけていく生き方なのか、そうではない生き方を模索するのか、である。
終了後、旧モスクワ広場でお食事。一緒に来た先生の娘さん(大学生)から「麻原彰晃がなぜ死刑にならないのかに関心がある」と、しばしオウム談義。貴重な、楽しい時間をありがとうございました。

2013年2月 4日 (月)

ケータイ

Dsc03299_2 私は会員数ン千人を擁する某学会情報化委員会委員長であるが(エヘンッ!)、ケータイ(スマフォを含む)というものが大っキライである。しょーがなく持っているが、電話をかけるか、留守電を確認する程度で、ほとんどメールのやりとりもしない。もちろんアプリって何?の世界である。こちらに来て、プリペイド式のケータイを持とうと思ったが、やめておいた。電話がなくてもなんとかなる生き証人になるためだ。
しかし、、、だ。実は今使っている機種(auのいわゆる錦鯉)、デジカメとしてかなり優秀で、持って来たCyber Shotよりズッと良い画像が撮れる(Sonyさん、何とかしよーよ)。だから結局ケータイを持ち歩かなくてはいけない。
ところが、、、だ。最近、このケータイに写真のようなアップデートを求める表示がでるようになった。通信機能を全てoffにしているのに、私の目を盗んで勝手にやりとりしていていましたね。よく見ると時差もちゃんと計算されているからGPS機能も動いているのか、、、、そういえば国境を車で越えた時にヘンな動きをしていたな。いずれにせよ表示によれば情報量、通信料、通話も無料だというが、信じられないのでauのサイトを見る。
やはり、、、だ。「課金のケースがありますのでご了承ください」と小さく書いてある。ほらほら! 騙されないよ。
そこで、、、だ。どういう場合に課金されるのか、問い合わせメールで確認してみる。
すると、、、だ。すぐに返事。このへんauはエライって思う。「(略)本件につきましては、お客様のご契約状況を確認させていただいた上で、詳細をお伺いしながらのご案内が望ましいものと存じますので(略)お電話にてお問い合わせくださいますようお願いいたします」だ。
だから、、、ね。その通話料が無料かどうかを知りたいって問い合わせでしょ!

2013年2月 2日 (土)

傘をささない

20130202 昨日のうららかな陽気から一転して雨である。前から気になっていることであるが、写真には20名ほどの人が写っているが、傘をさしているのは2名だけである。フードを被っている人が多いことから、やはり雨に濡れることを心地よくは思っていないのが判る。しかし傘をさすことは少ない。パリ暮らしの長いK先生は「フランス人は傘で手の自由が損なわれるのを嫌がるからだ」と指摘していた。何人かのハンガリー人に聞いてみたが、「どうしてそんなことを聞く」という表情で「そうか!」という回答は得ていない。何かをする理由に答えるのは簡単だが、何かをしない理由に答えるのは難しいから当然だろう。ハンガリー人に「なぜ日本人はフードつきの服を着てフードをしないのか」と問われても、「イヤ、別に」くらいの返事しかできないのと同じだ。
ところで昨日の記事を書いた直後に体調がどんどん悪くなり、明らかに発熱しているのが判った。岡田茂吉の薬毒論と野口晴哉の風邪の効用と○○○○の温熱療法を信奉する私は、風邪の時は発汗作用を高める葛根湯と大量の水分とビタミンを摂取して熱い風呂/サウナに入り、とにかく汗をかくことにつとめる。
この晩も葛根湯3包とリンゴジュース500mlを飲んで早々に寝た。夜中に汗だくで3回ほど起きたが、12時間睡眠をとったら、熱はすっかり退いていた。身体の節々と喉に痛みが残っているが快方に向かっているのが自覚できた。上記記事で何人かからメールやコメントをいただいた。ご心配おかけしました。感謝します。

2013年2月 1日 (金)

気温10度

20130201 朝から暖かい。気温を見ると10度である(ハンガリーのネット気象予報はビジュアルで面白い。O先生が教えてくれたものG先生が教えてくれたもの)。何となく薄着でいいかなと表に出て、公共料金を払って、それから中央市場まで(写真右上)。
今回の滞在で1週間目くらいでO先生と一緒に行って、牛タン燻製を買ったことを思い出した。その後、日本から来たK先生がこの牛タンを気に入って、僕が自宅で切っている横から食べているのを、そしてこれをお土産に購入していったのも懐かしい。思わず1本買ってしまった。ミカンと柿と比べて、この大きさである。これで1300ft(500円ちょっと)。中央市場でも売っているのは1ヶ所だけじゃないかと思う。最近は自宅ではほとんどベジタリアンなので、どのくらいかけて食べ終わるのだろうか。
現在日本に赴かれているU先生が中央一番の地下には火・金はクロアチア産の生マグロがあると教えてくださって購入もしたっけ。今日、行ってみたら確かにあったが、残念ながら切れ端しか残ってなかった。これは断念。その後、大学に寄って講義の準備をして帰宅。徒歩1.5時間ほどのお散歩だった。
暖かかったなぁと思ったら、熱っぽかったのもあったようで、急いで葛根湯を大量服用し、今日は早く寝よう。

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