2013年3月13日 (水)

帰国

いよいよ帰国である。前日まで講義があったが、シンプルな生活だったので、モノも増えず、アパートの引き払い業務はそれほど時間がかからなかった。それでもキッチンにはあと1回3~4人でパーティができるくらいの食材と酒があったので、急きょ、講義後にU先生とクリスマスにショプロンに招待してくださったM先生をお呼びして、、、というより手伝ってもらって冷蔵庫を空にした。
その後、2年生の飲み会があるというので、歩いてすぐのMadách Imre通りに3人で向かう。途中で飲み友達のGyörgyに出会い、M先生から帰国の謝意を伝えていただいた(いつもは店のママさんに通訳してもらっている)。そして飲み会の店に行くと、私のお別れサプライズパーティだった。
何となくそうだろうなと思っていたが、すでにお別れの挨拶と記念撮影をした院生や3年生、別の重要な飲み会に出席のはずのS先生、受講生ではないものの飲み仲間で実家に私を招待してくれた学生自治会A委員長の姿もあった。
感激とすでに入れていたアルコールも手伝って、さらにA委員長がテキーラとビールのお盆を私の頭上でひっくり返し一張羅のスーツをビチョビチョにした興奮もあって(断捨離だったからよかったものの)、早々に酔っ払ってしまった。中盤、寄せ書きや写真やプレゼントをいただき、別れの挨拶をしなければならない時には、かなり「できあがっていた」。驚いたことに数日後の誕生日まで祝ってもらい、私の「酔っ払い度」は頂点に達していた。
いつものように何を言ったのか覚えていないし、今ここで書き始めると長く、湿っぽくなるので、たぶん言ったであろう要点のみを記す。
サバティカルを取得し海外で生活してみようと、当時ラトビア大学で教鞭をとっていた教え子のO先生に連絡をしたのはいつだっただろうか。もともと私の研究自体がドメスティックなもので海外で研究をするということに、周囲は「冗談だろう」くらいにとらえていた。内諾を得ていたサバティカル申請自体も諸般の事情で延期になり、大学の諸改革やNPOの正念場で日本を離れることは「無謀」とも思われた。しかし大方の理解を得て、ここブダペストに来て心の底から良かったと思う。
いつも私の生活や研究や講義のことを心配してくださった親切な同僚・他校の先生や仲間には本当に助けられた。ありがとうございます。学生・院生はとてもとても優秀で、かかる有意な若者が日本語を学び、日本文化を理解してくれることを心強く思う。頑張ってほしい。美しい街は言うまでもないが、「野菜がないでしょう」とか「脂っぽいでしょう」と自己卑下される向きもあるが、私はハンガリー料理も含め、この国が大好きなのだ。レシピも教えて貰い、日本でも作ってみたい。入り浸った「階下の食堂」のご夫婦オーナーも立ち飲み屋のママさんも、私が注文するものを言わずとも、だいたい判ってくれて「常連」扱いしてくれるようにもなった。人生の三分の二が終わろうとしている時に、何か「青春の1ページ」のような強烈な7ヶ月半の体験をさせてくれたハンガリーと、この国に住む人々に深く感謝したい。
ある大きな学会の会長より、「東欧の文化は水に合っていますか?」で始まる賀状を頂戴したが、今、胸を張って言いたい。「IGEN !」と。

2013年3月 1日 (金)

帰国の夢

Dsc_0111 卒業旅行で日本から学生が来て、彼女らを東駅に見送り、夜は大谷大学から集中講義で来られた先生方と食事(写真は1軒目の大学内のパブ)。日本の大学のことをずいぶん話をしたせいか、帰国の夢を見る。
こっちでボロボロになった服を捨てたものの、着て帰る服がない。夜中のアパートで上半身はだかで呆然としていると、向かいのアパートから人が見ている。カーテンを閉めに行こうとするけど、なぜか窓辺に行けずに身体が固まっている。
どうにか身支度をして、空港へ。しかし一年間有効で仮予約したはずの楽天のチケットが使えず、もの凄く焦っている。「ここに予約した便名も座席番号も書いてあるだろう」とルフトハンザのサイトからDLした別の書類を見せようとするが、大きな荷物のどこを探していいのか判らない。「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせている、、、
夢は豪華三本立てて、ブダペストのメトロで「あ、定期の有効期限が切れているだ」とチケットを買おうとすると、なぜか日本の券売機。「えっ、日本に着いたんだ」と思って、日本円を探すが、どうしてもハンガリーのコインが混じって計算できない。手のひらにコインを並べていると、皆が集まってきて、「これとこれで160円になる」とか「いろんな種類のコインがありますね」とか言っている。
帰国まで、あと13日。

2013年2月20日 (水)

晴れのち雪、そして

20130220
黒澤明の「生きる」を35年ぶりに見て、また学生に視聴させるクリッピングのために何度も繰り返し吟味したせいか、けっこう自分の人生に引きつけて感じることがあった。写真上のは35年前は何となく見過ごしたが、主人公が喫茶店で何かに目覚め階段を駆け下りるシーン。バックでは喫茶店で誕生会が開かれて、友達が「ハッピーバースデー」を歌う中、主役がやってくるというもの。ちょうど主人公の「もう一つの誕生」を祝うかのように、、、ベタだが、凄い!
日本から次々と業務連絡のメールが来る。カリキュラムや学会事務、、、どうやら中規模の学会の執行部に選挙で当選したようだ。否応なくハンガリーから日本の日常へ頭が切り替わる。しかし、この地でやり残したことがあまりにも多すぎる。日本に戻ってからの業務を考えると、何となく「生きる」の主人公に自分を重ね合わせてしまう。息苦しくなって悶々としながら、天気が良いので散歩に。
出たとたん、粉雪である(よくある)。フードを被ってぶらつく。なぜか足は8月によく行った公園へ(左下)。語学の研修の前に、ここで数字の読み方とか名詞の変化や複数形の暗記をしたっけ。結局、ハンガリー語は上達しなかったなぁ。向こうに見えるのは何だかんだで一番お世話になった市場改装型のSPAR。そのままDob utcaを歩く。小さなKóser(ユダヤ食品)のお店が多く(下真ん中)、一度、冷やかしに入ろうと思っていたら、道路と周辺建物の工事でどんどんなくなっていった。雪のシナゴーグを見て、Király utcaをアパート方面に戻る。「どこに住んでるんですか」と聞かれて「AkácfaがKirályにぶつかるところ」と言うと、多くの人は「教会のある、、」(右下)と判ってくれた。「前に行列のできるピザ屋があって」というと大抵は笑いがとれた。
こっちに来たばかりのころを思い出したせいか、より一層、感傷的になった。帰国まであとちょうど3週間である。いろいろな気持ちが絡み合い、重苦しく、ふとこのまま日本に戻ろうかとも思った(搭乗日が変更できる航空券のはず)。しかし、そんなことができる訳もなく、講義のためにコピー用紙を購入。偶然、知人に出会い、飲む約束をしたりもした。いつの間にか晴れになっていた。アパートに戻り、気がついた。そうだこの素晴らしい街にあと3週間も居られるのだ。残りの時間をより有意義(決して今までも無意味じゃない!)に使おうと心に決めた。「ハッピーバースデー」ほどではないが、いろんなことが整理された感じがした。

2013年2月11日 (月)

Pécsへ

20130211b
一ヶ月2391アクセス、786訪問者(うち19.3%外国語使用者)という国際派人気ブログにようこそ。ちょっと書かないだけで、更新待ってます、いい気になって観光してんじゃないよという相反するご意見を頂戴する賛否両論・論争型ブログでもあります。
Pécsに着いたのは9日の昼過ぎ。ずいぶん迂回してホテルに着いて、荷物を降ろして、まずは歩いて1分のセーチェニ広場の旧モスク→カテドラル→街に数カ所ある世界遺産の初期キリスト教墓地を歩く。カテドラルの内部(写真左下)が美しい。欧州の教会はどこも美しいが、ここは中央の台座に天蓋があって、それが天井画を遮り、それがかえって一層、天井画に注意を向けるようになっている。
街を一回りして夜はCsászár Pinceへ。ワイナリーだという割にはワインの種類が少なく店名を冠しものはスパークリング4種類だけだった。それはいいとして10日は雪が積もって、前日のセーチェニ広場をより一層、美しくしていた(写真右上)。朝からMohács(別記事)で、戻ったのは18時近く。夕飯はホテルでおとなしく食べた。11日は晴れたが、時々粉雪が舞い、マイナス3度の寒い朝だった。しかし昼の列車でブダペストに戻るので、それまで街を3時間ほど歩く。ミナレットのあるモスク(写真左上)を見て、G先生に教えてもらったジョルナイ焼きの工場(写真右下)まで。工場は広く入口から裏口まで歩いただけで15分ほどかかり、いくつかお土産を見たら時間切れだった。ジョルナイ焼きをなめていたね。

内省の一人旅

20130211a PécsとMohácsの2泊3日の一人旅より帰ってきた。向こうでは粉雪がズーッと舞っていたが、ブダペストはもっと降ったようで駅について積雪の多さに驚いた。
報告は後日に委ねるが、Pécsまで片道3時間、さらにMohácsへはバスで1時間の旅。内省が進むねぇ。基本、誰とも口を利かないから自分と向き合わざるを得ない。旅の効用の一つである。
写真は9日と10日の晩のレストラン。いずれもPécs。初日は Császár Pince(写真右)、二日目は泊まったPalatinusのレストラン(写真左、泊まったホテルのレストランで夜食べるということはほとんどないのだが、朝食が普通に良かったので夜使用)。それぞれ途中1組のカップルがいたものの、僕以外は誰もいない。一応、ちょっと良さげなところに入ったのだが、、、(味もサービスもちゃんとしていた)。ビール&ワイン2杯とメインでチップ込みで4~5000ft。人が多ければ、その観察で気が紛れるが、客が僕だけとなると、ワインリストを隅から隅まで読んでも、まだ余りあって、結局は自分の内面に向かい合わざるを得ない。メモなんかしたりして、、、ね(ほとんど内観療法だね)。
10日のお店ではかかっていた曲がカーペンターズ(なぜ?)で、食事を終えて出ようとしたら"Yesterday Once More"がながれたので、これを聴きながらワインをもう1杯追加した。内省が弥が上にも進んだことは間違いない。

2013年2月10日 (日)

Mohácsへ

20130210
Mohácsである。きっかけは学生に「ハンガリーのスピリチュアリティ」というテーマを出したら、この街の“Busójárás”という祭りについて写真入りでレポートが提出されたことによる。『地球の歩き方』にも本文外の小コラムに10行ほどの説明も載っていた、、、ということで出発となった。当初はMohácsに泊まるはずが、ホテルは2ヶ月前から満員(あるいは法外な値段)なので、バスで1時間のPécsに宿をとった。これは正解だった。
さてMohácsに10時頃着いて、すでにかなり盛り上がっている街を一周。ドナウ川沿いの慰霊塔(右上)や教会をいくつか回る。クロアチア人やセルビア人も多く、教会も分かれているようだが、セルビア正教会(写真左上)が―半ば崩れかけた内装が逆に重厚さをたたえて素晴らしかった。小さな堂宇にずっと佇んでいたい気になった、、、が、そうは言っていられず再び街へ。
写真下にある仮面を被ったBusóが街中を闊歩していてる。トルコ占領下に森に逃げ延びたMohácsの人々が、騎士のお告げにしたがってマスクを被り、火をたき、大きな音をたてて領地を奪回するという物語にちなんでいるようだ。こういう祭りはだいたいキリスト教や迷信打破によってなくなっていくものだが、1週間にわたって行われる行事が残っているとは! 世界無形文化遺産にも登録されている。
15時からはメインストリートでパレード。男性器をかたどった杖や張形で観光客をからかう、若い娘をサンドウィッチにしてはしゃぐ、液体、粉を振りまく、、、日本語のガイドには「なまはげ」と書かれているが、いやいや、これは日本で言えば各地に「奇祭」として残る縁結びや安産や豊穣などを願う性神信仰ではないか。私の隣にいた娘はBusóの生け贄のようになって、最後は顔に炭を塗られ、水をかけられ、髪の毛は粉で半分真っ白だった、、、

2013年1月30日 (水)

まだまだ、だ。

20130129帰省していた受講者のインデックス記入をして、これで成績つけは完了。もっとも、いろいろ言ってきて、講義も試験も受けないがレポートだけで単位を欲しいという不届き者が一名いる。インデックス記入ができないというので、もう成績はだめだろうと思っていたら、その友人から救済措置を講じて欲しいとのメール。まだまだ続きそうだ。
ただ実質上、これで当初のお約束のゼミと講義各1コマ担当はお終い、、、と思いきやS先生より「来学期の講義を」というお話が。しかし帰国は3月なのでと辞退すると、集中講義でいいということで契約更新(といっても無給だが=ここサバティカル中なので重要ね)。講義内容は別記参照。まだまだ終わりじゃない。
さて、先々週知り合いになったご夫婦と会食。先週来、いろいろと教えてもらうことが多い。もしかするとモハーチ行きも一緒になるかも知れない。一人でボーッと祭りを見るよりも先達がいた方がいいに決まっている。また相前後して違う方からも「スピを研究しているなら」と、某集会に一緒に行かないかというお誘いが。光栄である。まだまだ学ばさせていただこう。
ちなみに会食の会場となったCafé Kör、、、何となく既視感があったが、7月末にブダペストに到着した次の日に入ったお店だった。海外の都市ではまず高いとこに昇って街全体を見渡してと聖イシュトヴァーン大聖堂の塔に昇って『地球の歩き方』の地図と見比べてちっとも判らず、降りて最初に外食をしたのが、ここだった。不思議とズーッと前のような気がする。4名でワイン3本にビールにパーリンカ。食事は前菜盛り合わせとデザート盛り合わせ(写真左下)でお腹いっぱい。なるほど、こういう頼み方もできるのか、、、うーん、まだまだだな。

2013年1月26日 (土)

ご恩

20130126_2 25日に2泊させていただいたアルローをあとにブダペスト市内に戻った。かなり雪が積もった真っ白な景色が市内に入る直前に一変して雪がない日常に戻った。川端康成のようにトンネルがあった訳でもなく、、、まさに突然である。
先月お邪魔したショプロンでもそうであったが、個人宅にうかがうと帰りに多くのお土産を頂戴する喜びに浴する。ここでお見せするのもどうかと思ったが、記憶と記録に留めるために写真を掲載する。すでに記したようにA委員長のお祖母さまからは教会カレンダーとしおり、授業参観をさせていただいた学校からは生徒さんからチョコを、お世話になった図書館司書の方からは手作りジャムを、委員長ご両親からは手作りパプリカ粉末とお父さまご友人ご謹製パーリンカをいただいた。
なお、帰宅後に市内で打ち合わせ兼飲み会があり、そこでは高野豆腐、ヒレカツ(ウィンナーシュニツェルじゃないよ)、炊き込みご飯などの和風お食事、魚が不足しているだろうと立派なニジマス姿焼きをご馳走(お土産も)になった。感激である!
もちろんモノを提供されたからではなく、そこに至るお気遣い、お心配りに率直に感動する。先の小学生のチョコも時間的には1分のセレモニーだったが、それをしようと考え、チョコを準備し、生徒を手配し、日本人はお辞儀をするから私たちも、、、と考えてくださったプロセスにジーンとくる。
我々の業界ではよく「学恩」という言葉を使うが(偉い先生にお世話になったり論文を貰ったりする際に用いる)、こちらに来て人の恩、人の優しさを痛感することが多い。大学では国際交流の担当をしていて、大学業務的に、個人的に留学生と接する機会が少なくないが、私はそんなに親切だろうか? 今回のアルロー行きもきっかけは学生飲み会で、残念ながら参加できなくなったU先生がA委員長の実家話で盛り上がって、そこに便乗する形で私が参加という、U先生のお蔭なのである。
上記のご恩を忘れることなく、ここに記し感謝申しあげます。ありがとうございます。

2013年1月25日 (金)

Arlóへ

20130125a
23日~25日とハンガリー北部のArló、Ózd、Egerのオトコ二人旅の宿泊はA委員長のアルロー(Arló)のご実家であった。お父さまはエゲルに単身赴任、お母さまと弟君ははオーズトのそれぞれ会社に働きに、高校に通っている。犬が2匹に猫が3匹。昔は花屋をやっていたといい、家にはそのスタンドがある。
23日はアルローから少し離れた村の学校に授業参観をさせていただいた。かなりやり手とお見受けする校長先生がセレクトした授業は、どれも統率がとれていて、僕らが教室に入ると生徒はクルっと顔を向けて大きな挨拶、歌が響いた。校舎入り口には日本に関する学習成果が貼られていた。校長先生と歴史の先生と懇談する時間もあり、いろいろと日本のことについて知っておられるのも印象的であった。
教室を出ると、学校を出ると。生徒が僕らのあとをクスクス笑いながら付いてくる。道を歩いていると(すれ違う人に挨拶するのはよくあることとして)子どもが振り向き振り向きしながら僕を見る。委員長曰く「たぶん村に入ったはじめての日本人ですよ。中国人もいないから珍しいんでしょう」と。
24日の午前中はアルロー湖に(写真右上)。氷った水面を見ながら、まわりからは鳥の声しかしない凄く静寂な雰囲気を堪能した。考えてみるとアルロー自体が朝晩は犬の鳴き声しかしないとても穏やかな村であった。しかし上記校長先生から、またオーズドでも、この地域のかかえる人種的・経済的な問題も聞いており、穏やかさのみでは済まないことも少し判った(つもり)。
お母さまからはとても親切にしていただいた。寒くないか、ちゃんと寝られたか、コーヒーは要らないか、パーリンカはどうか、昼の残りを食べないか、、、、特に豚煮込みノケドリ添え(Sertéspörkölt nokedlivel)やロールキャベツ(Töltött káposzta)を美味しくいただいた。ノケドリとはハンガリーのパスタであるガルシュカに形状は似ているが、ガルシュカは芋粉が入っているがノケドリは小麦粉と卵だけで作るという。大根おろし器に似た器具で作ることろを見せていただいた。
アルローはもちろんだが、オーズドでも、委員長の高校生の先生、お母さまにダンスを教えていた先生など、ご家族の知り合いによくお会いした。顔と顔が見える関係の残る地域なのだ。そういうこともあり、上記学校の先生方、ご家族、親戚の図書館職員さんなど、いろいろな出会いを経験することもできた。本当に感謝しています。ありがとうございました。

2013年1月24日 (木)

Ózdへ

20130124b 23日~25日とハンガリー北部のArló、Ózd、Egerのオトコ二人旅(実際はA委員長のご家族と一緒)の2日目は、オーズド(Ózd)である。本当はミシュコルツ(Miskolc)で洞窟温泉のはずであったが、寒くて休業中ということが判明し、急遽、委員長のお祖母さまご訪問となった。
オーズドは社会主義時代に重工業が栄えた町で、今は廃虚&公園になっているが、中心部に広大な工場跡地に、写真左上のようにブダペスト市内では撤去されたプロレタリア芸術をあしらった建物が残されている。ここに1万人を越える労働者が働いていたという。
委員長とお母さま、弟君と一緒にお祖母さま訪問。オーズドの高齢者アパートに一人暮らしという。敬虔なクリスチャンで、会うなり、この見るからに異教の者(写真左下)に「信仰は」と問われ、職業柄、ドキドキしながら日本人の宗教性について述べさせていただいた。もちろん通訳は、昨秋、2ヶ月間に及ぶ国際交流基金関西センターで研鑽を積んだA委員長その人である(ちなみに家族は日本語学科に学ぶ委員長の日本語を今回初めて聞いたらしい)。お祖母さまからは教会のカレンダー、しおり、お菓子を頂戴することとなった。
先ほどの工場跡地前の文化施設でハンガリーの伝統的なダンスに関するレクチャーと実演があるというので参加する(写真右下)。考えてみると写真ではよく見るが、実際に目の前で動いている姿に接するのははじめてである。帰りに施設の喫茶室にある往時のオーズドを写したパネルを特別に部屋を開けてもらって拝見した(写真右上)。

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